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「おばさん」であることを受け入れる
自分が「おばさん」であるということを受け入れるまでに少し時間がかかった。といっても一般的におばさんを認知する年齢がいくつなのかはわからないし、それを認知するまでの期間の平均があるわけではないので、あくまでも個人的な感覚だが。自分がおばさんと呼ばれる年齢になったということの認知、心身の機能の低下の認知、ひいては親の老いの認知ができてきたころから、自分がおばさんになったということを受け入れられるようになった気がする。
最初に意識したのは、大学の友人たちと集まったときだった。友人が別の友人の子どもに対して自分のことを「おばちゃん」と呼んでいたのである。「それ、おばちゃんに貸してごらん」といったような言い方だったと思う。
わたしは驚いた。その当時、わたしたちは40代前半で、友人の子どもに対して、わたしは迷わず「お姉さん」という呼称を使っていた。子どものいる友人も子どもに対してわたしをお姉さんと呼んでくれることが多く、今思えば、親である友人たちが気を使ってくれていた部分も大いにありそうではあるが、おばさんという言葉を他者から向けられたことがなく、また自分に向けて使ったこともなかった。
子どものいる友人は、自然によそのうちの子どもに対して、自分をおばさんと呼べるようになるのかもしれない。「おばさん」という呼称の使い方に「よそのうちのお母さんの呼び方」というのが含まれている気がする。しかし、わたしには子どもがいない。よそのうちのお母さんとしておばさんと呼ばれることがない。
その日をきっかけに、自分が「おばさん」と呼ばれる年齢であることを意識しはじめた。子どもを介した社会的な関係性がない場合、おばさんであることの認知は自分自身の年齢や身体の変化がきっかけになるのではないかと思う。40代半ばに近づくにしたがい、明らかに心身の動きが低下していき、白髪が増え、更年期症状があらわれるようになった。
この時期から母が髪を染めるのをやめてグレイヘアになったり、膝を悪くして歩みがゆっくりになりはじめたりしたこともあり、親の高齢化が見た目からわかるようになったことも、おばさんであることの自己認識を高めてくれたように思う。
自分自身と親の変化で、わたしは次第に自分がおばさんになったことを受け入れていった。女性が妙齢となり、見た目や心身の機能の低下していくのを受け入れるのは、それなりの葛藤がある。わたしはおばさんになったことを受け入れているものの、変化していく自分の心身を持て余すことが多い。社会におけるエイジズム(年齢に基づくステレオタイプや偏見、差別)も関係していて、こうした意識は他者だけでなく、自分自身の自己受容にも影響を与えているのだろう。
40代後半のこんなおばさんの持て余し気味な日々のことを少しずつ書いていこうと思う。