「学年誌の付録にみる 子ども文化史」講演会感想@県立神奈川近代文学館
子どものころの私にとって、雑誌のふろくは「生きがい」とも言えるものだった。こう書くとオーバーだが「ふろく欲しさに雑誌を買っていた」。
それは今も変わらないのだが、大人にとっての付録と子ども時代のふろくを比較すると、対象物への思い入れが違うと思う。
それは少ないお小遣いで、または親におねだりして手に入れる立場と、誰にも阻まれずに買える身分の差なのかもしれない。
そんな事を考えながら聴講した標記の会。
「小学一年生」の編集長として数々の付録製作に関わった野上暁氏と、学年誌の付録を多数担当した徳山雅記氏の対談は、生の付録作りを識る者だから語れる話ばかりであった。
ふろくとは「付け足し記録=付録」。
もともとは挿絵や双六など、紙で作られた添え物的なものだったそうだ。
運搬都合による材質の制限もあり、紙仕様が一般的だった。
現在においては、紙の雑誌自体が存亡の危機にある。インターネットの発達で、紙媒体よりも手軽に読めるネット媒体が情報伝達の最優力手段となっているのだ。
更に付随する付録も、今や大人向けの方が充実している気がする。キャンプ用品や万年筆、化粧品やバッグなど、本の方が付録になっている感も否めない。
だから尚更、本日の講演会や展示で見たありし日の紙付録が懐かしくてたまらなかった。
講演会でもレジメにも紹介されていた「小学一年生1978年7月号付録・ピンクレディーのステージきせかえ」、私は一生懸命作った記憶があるのだ!その場で野上氏に「ありがとう」と叫びたくてたまらなかった。
戦前から戦後にかけてのふろくの変化は、見ていて辛くなるものがあった。
それに関してはまた別で書きたいと思う。