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kiyofico
今夜、すべてのバーで
1度だけしか行くことがなくとも素晴らしいバーがあれば、何度も行きたくなる大好きなバーもある。
同じく1度だけしか読んでいない素晴らしい小説もあれば、何度も読み返したくなる小説がある。
中島らもの『今夜、すべてのバーで』は自分にとってそんな小説だ。
小説を再読することの良さは、物語を通じて以前読んだときの自分との変化に気付けることだろう。
初めてこの小説を読んだときの自分は、酒を飲むことだけで満足していたが、今の自分は酒を味わうことに魅了されている。それは大きな変化だ。
そして酒を味わうことに魅了された者は、大抵の場合ひとりで飲むようになる。より深く酒を味わうには、仲間と語らうよりも内省が必要だからだ。
この物語の主人公である小島は酒を味わうことなく、誰かと飲み語り合うわけでもなく、ただ酔うために酒を飲んでいる。小島が求めているのは、酒ではなくアルコールで、快樂ではなく酩酊であり、アルコールは彼が見る現実をいとも容易く歪ませる。
小島は多くの人がするように、現実に意味づけをしたり、物事に情緒や彩りを加えることをせず、どこまでも乾いた視点で世界を見ている。
色味を欠いた現実と対峙していた小島は、アルコールでその身体を潤した。酒にも味付けをしなかった彼の体内は、アルコールで潤っていながらも、その心はどこまでも乾いていたのだろう。
常人ならばある程度、色を付けたり、潤いあるフィルターを通して物事を見ているはずだ。
ロマンやらナルシズムは我々を騙しながらも、幻想という手綱で危うい世界から逃避させてくれる。
バーカウンターで酒を味わっているときには、特に。