見出し画像

【小説】継ぎゆくイノチ - 炉紀谷 游【ヒューマンドラマ】

- 序 -

Light。三度目。変わり映えのしない夜半の景色の中に咲く一輪の花ひかりよ。どうか、私の行く末を辿るための栞となれ。私と世界とを結びつける楔となれ。私はそう心で祈りながら、今日も孤独な実存の世界を旅し続ける。

『旅を夢む。』 - 坡嶋 慎太郎

- 本篇 -

 ――私はあなたの父親を殺しました。
 これが道徳的に正しいのかどうか、私には検討もつきません。けれどもね。
 とにかく――私は生きるというエナジーを、なんでもないところに注ぎ込みたくはなかった。
 生きるというのは、液体のようなものでしょう。
 生命という光り輝くエナジーをあちらこちらへこぼしながら、わずかに残ったエナジーを、本来注ぎたいと思っていたところに少しだけ与えるということなのだと。
 私の中で、あなたの肉親を殺すことが、生きるという営みの終着点になりました。
 そういうと、センセイは少し錆びついたパイプ椅子を軋ませて足を組みなおした。夜半、暗がりの中でセンセイは冷静な態度をとっていた。
 ――あなたは私のしたことを咎めないのですか。……そう。これは、別に赦されたいと思ったわけではありませんが。あなたがそういうことばをかけてくれるのは、気休めになります。

 さて、本題に移りましょう。施設で働く私が、あなたの父親を殺し、そしてあなたに遺言を残す理由を、今からお伝えします。
 もっとも――見てわかるように、老躯が語るものはおぼろげな、うん、本当におぼろげな記憶の一枚一枚を少しずつ明かすようなものです。時々その葉は破れてしまったり、あるいはもとより枯れてしまっていたりするものですから、もはやそれが原型を保っているかも分かりません。
 でも、これはあなたに伝えなければならない。あなたが施設に保護されてから今に至るまで、ひたすらに隠し通してきたものを、明かすときが来たのです。

 大昔のこと。私が大学生だった頃です。
 同じ大学の人間で、同じ学部の、文学を己の分野とする、そういう人が私の同伴者にいました。
 ……Nとは、よく話が合いました。私は生来、文学的な情熱が四方に散るような人間。互いを知ろうとする興味が湧いて然るべき状況でした。格好つけて手紙のなかでレトリークを交わしたのを覚えています。今思えば、ああいうものを若気の至りというのかもしれませんね。
 センセイは彼女のことを――Nと呼び、ただそれ以外の方法で形容することはなかった。名前を知ろうとしたけれど、センセイはそのときだけ、いやに硬直した表情で「Nは、Nでしかないのですよ」と言って、それ以外の文句を言わなかった。
 ――Nは。いい人間でした。それは、学徒としても、同伴者としても。知的好奇心の方向は、その時々によって散らばることはありましたが、概ね、同じ方角を指していたように思います。
 私はこう、端的に言うのが好きではない、というより、やはり恥ずかしいと思ってしまう性分ですからめったに言いませんでしたがね。愛していたのです。Nを。Nの人間性を。
 ……この見てくれで愛がどうとか語るのは恥ずかしいものですね。あれは、生きることにひたむきな人間が語るのがちょうどよいと思ってしまうのです。
 はにかんで笑ったセンセイは、私が彼と出会った時と同じ表情をしていた。

 ――ところであなたは、学生の愛が、愛ではないと思いますか。
 なるほど、そういう答えもあるのですね。
 私は、私自身が答えになっていますがね、学生のときの愛こそが深愛だと思うのです。
 歳を食えば、その年月の分、色んなものを食う。色んなものが私の躰となって、私は色んな私になる。故に、愛やら感情というのはまっすぐには語れなくなると思うのです。
 その点、幼いほうがかえってよいこともあると思うのですよ。例えば、小さい子をみて、自然な愛情を抱くのは。皆、そういう純粋な精神が幼さにつながっているからではないかと、一七の頃に思い至りました。今もなお、それは私にとってそうであると思うわけです。
 つまり、色んな私となった私に、そういった精神性は失われたように思うからですね。
 センセイはもともと大学の先生だったと聞いたことがある。やっぱり大学っていうところの先生になる人は皆、小さい頃から賢かったのだろうか。

 ――でも、愛とは難しいもので、一概にきれいなものとは言えないと考えます。深い愛であろうと、それが偏愛であったり、または執着であったりするでしょうから。
 Nは、二二のとき、私の前から消えました。この、今の時代と違って、消えるというのはそう簡単なことではなかったはずなのです。なにか線を断ち切れば関係が消えるという話ではなく、複雑な関係の中で一人の存在が忽然と消滅するというのは、やはり不自然なことですから。
 多くを疑いました。自分も、他者も。原因を求めました。根拠を知ろうとしました。しかし、自分はともかく、Nの友人でさえも、ことの仔細を知らなかったのです。……あるいは、私に伏せるように告げていたのかもしれませんが、追求しようがないのでそれを疑うのはあらゆることの最後にしていました。
 自覚してはいましたが、あのときから私の愛は歪んでいきました。行き場のない強い感情は、ときに怒りと相違ないと思います。あるいは、そう誤解するようになったとも言える。
 そう語るセンセイの顔はやけに険しかった。

 ――憶測を語ってもいいならば。当時の彼女は自身の人生になにか不都合なことがあったのだろうと感じます。
 常人ならば、恐らく諦観の念でもってそれそのものを思考から排除するような事柄。それが、彼女には多かったと思うのです。
 Nが去ってから少しだけ色んな人から話を聞きました。どうやらNは家庭や周囲の環境にそれほど恵まれていなかったらしい。だから大学に身を寄せて、ときに私の棲家に転がり込んできたのだと思うのです。
 いい人は、ある日突然、人に迷惑をかけまいと言って消えてなくなりますね。残された者は呆然と立ち尽くすしかないというのに。
 さてちょっといいですか。腰が痛いのは多少の我慢がききますが、喉が乾いてしょうがないのです。お水をもらっても? ええ、感謝します。手が使えないというのは、これまた申し訳ない。ゆっくり流してください。あ、ああ…………どうもありがとう。
 それで、Nが消えてから人生は本当に一瞬でした。十数年はぼんやりしていたと言っていいでしょうね。何人か愛してみようとしましたが、どこかでそれを恥じる気持ちが混じって、気味の悪い恥と憎悪の混合物が躰を蝕むばかりでした。

 私の人生は、私が送るものですから、堂々としていればいいと人は言う訳ですが。外聞を気にするというのは本能に刻まれたことであって、学生時代のそれを引きずる自分や、しかし愛を貫くことのできない生半可な態度。それらが整理されることなくただ強い忌避感とともに現れて、救われなかったのです。
 はい? ああ。今ではどうでしょう。うん、私は孤独であるべきと思っています。いや、自然にそうなっているのではなくて、自らそう仕向けている。すべからく私は孤独であるべきだと思うのです。
 歪んだ愛の結晶。それが孤独となって、罪過になったのだと思います。全くどうしようもないと思うでしょうけれど、どうか責めないでほしい。省みるように促すのなら、もう少し早く、もう少し近くに寄って語りかけてほしかった。
 本当は、愛していたかったのです。それを忘れられないからこのように歪みきって、逃げ続けているというだけなのです。
 センセイは逃げているという。私にはそれを理解できているのならば、逃げなくてもいいのでは、と思えてくる。気づいているのに、それを止めることのできない、理性と感情の衝突がそこにあるように見えてきた。

 ――失礼。あなたに言う必要のないことまで話してしまいました。
 さて、久しく動いていなかったものですから、足の感覚がなくなってきました。ちょっと怖いのですが、立ってもよろしいですか。ええ、構わないでください。手が使えなくとも、どうにかなりますから。
 冬の風が入り込む廃墟で、センセイはボロボロの靴を履いて周りをうろつく。その顔からはどこか、優雅で気品のある様が垣間見えた。
 ――逃げてから全てをお話すると言いましたね。どうも、そこに行き着くにはまた余計な話をしてしまったかもしれません。というのは、あなたに……呪いをかけていいのか、しばらく悩んでいたからです。
でも、口がだんだんと軽くなってきたので、言うことにします。

 私が施設で働いて、あなたが保護されて、そしてあなたの教育係を務めるようになって、もううんと長い付き合いですね。もともと大学で講師をしていた話はしましたね。まあ、たまたまです。ちょっと気が変わって転職を決意したところ、友人のつてもあり施設で働くことになった。純粋な精神に触れていると、私は落ち着くのです。ですから、相性が良かったのかもしれない。
 でもね。あなたと出会うなど、思ってもいませんでした。いや、あなたがあなたであると気づくのもずいぶんと時間がかかりました。
 保護されたあなたの出自を調べているうちに、あなたがNの子であることが明らかになったのですね。Nと、父親は――ええ、あの人のことです。ともかくその二人の子があなたというのがわかりました。

 Nは私の前から消えて、色んなNとしての人生を歩んでいた訳です。悲しくも、Nは親としての素質を幾分失っていたように思います。
 大学の頃と比べれば、とても不愉快なことでしたが、しかし、それはもはや、あなたを前にして重要なことではありませんでした。
 あなたをNの子と思うことは多くありませんでした。悪い意味ではなく、あなたもまた、あなたですからね。
 ですから、その私にしかわからないようなことは伏せておきながら、あなたの教育係を務めてきました。あなたには、とても多くのことを話してきました。それが、今になって正しいことだったのか、少し考えたい気持ちもありますが、しかしあなたはとても楽しんでくれましたね。
 ただそれが――ご存知の通り、あなたの父親なるものが施設にやってきてから、変わっていったわけです。父親も、上長も、とても真っ当な発言をしていたとは思えませんでしたが、結果としてあなたは父親のもとに行くことになりましたね。
 全てを止めることができなかった不甲斐なさをどうか罵ってほしいとも思いますが、あなたは、あの、暴力的で暗澹たる世界に足を踏み入れようとしていた訳です。あなたがよそ者に売られると知って、ただどうしようもなく、救いたかったのですね。

 いいですか。私があなたを守ろうとしたのは、あなたが施設の大切な仲間だからというだけではないのです。
私は嘘を重ねて、男を罠に誘い込み、破滅に導こうとした。それは、あなたを、いや……あなたに重なるなにかを守るために、したのだと思うのです。
 ただ、葬り去るつもりはありませんでしたし、彼に襲われて手を負傷することなど予見していなかったのですがね。色々と怖気づいて萎縮してしまったところがあるのだと思います。
 ああいや、よしてください。もうこれでは治るものも治りません。心臓の鼓動が落ち着いてきたら、恐らくそのまま止まるのです。今はただ、あらゆる興奮が冷めあらぬうちに、呪いをかけてまわるのがよいのです。忘れられない、強い意志のことです。
 内省の末、人は格言を残したり、句を残したりしますね。自分に生じた悪や善を吐いてから消えてなくなりたいと思うのでしょう。私には、そのような技巧がないので、全てを吐かねばなりません。
 あなたは私を、センセイと呼びましたね。……それは皆が呼んでいたからだと思いますが。私はそのたびに、あなたに申し訳なさを覚えていたのです。私はいびつな感情に蝕まれた孤独な人間でしかないのです。
 さて、人生というのは漫然とした進退の連続であって、私の一存で生きることをなにか特別なものに費やすというのは難しい。でも、ゆったりとしたなかで前に進んだり、元いた場所に戻ったりするなかで生命のエナジーをこぼしながら、どこか求める場所に少しだけ注ぐこと。それが生きることだと思うのです。
 自分自身についても嘘をつきながら、逃げながら、嗤いながら、その営みの中でもわずかに残ったエナジーを、本来注ぎたいと思っていたところに少しだけ与えるということ。生きるとは、そこまできれいではない。
 ですから。皆が期待する鮮やかな世界など、恐らくないのです。でも、よくご覧なさい。その人の本当に奥深くには生命という光り輝くエナジーがきっとあるはずなのです。

 私がエナジーを注いだのは、Nとあなたに。あとの人生は恥と後悔にまみれているものです。でも、あなたが私に優しくあるのならば、どうかその純粋な正義で貫かないでほしい。 
 さて、事の顛末はこのようなものです。そして、この通り、逃げてここまでやってきたわけです。
 まもなく警察がやってくるでしょう。あとは私が指示したように動くのです。
 あなたには何も話さずに去ろうとしたのです。迷惑をかけまいと思って。でも、ごめんなさい。やはり私は、申し上げずにはいられない。
 その。あなたを愛しているのです。心から。だから、あなたには、生きていてほしい。そのエナジーが、なによりもあなたが尊い理由になるのです。
 だから、最後にもう一度だけ言います。
 どうか、生きてください。

 それから私は、センセイが指示するように動いた。日が昇り、夜の惨劇は昔の話に思えてくる。
 心はもうどこにあるのか分からないくらいに右往左往していたが、ただセンセイのことばだけが、私を突き動かした。
 センセイは私の父を殺し、私はそのセンセイを助けるために奔走した。一見すれば世間からの批判の的だったことだろう。
 最初は少し騒がれたけれど、事件という異質なものは徐々に収束していくものだった。あらゆるものが美しかったと社会が喧伝するかのように。つまりは、未来の不幸を防いだ立派なセンセイと、たくましく生きる強い女人、のように。世界がきれいでないというのはこういうことなのかもしれない。

 センセイは死んだ。紛れもなく、死んだ。そして、私を語る者も減った。皆、ひどいものだ。愛する者がいなくなると苦しむとわかっていて、私にもそうさせてしまう。生き続けることがどうして迷惑だと思うのだろう。私にはわからない。そして、あまりわかりたいとも思わない。
 ただ、生きるという力を忘れたくはないと思う。どんな生命も、どんな感情も、歪みきってちぎれちぎれになっても、切れはしない。
 恐らく、上手くやれば長く続いていくのだ。
 エナジーを注ぐというのは、別のものに力を継ぐということなのだから。


- 評言 -

生きたいと思うのも、生きたくないと思うのも自由でしょう。でもそれぞれのそういうものに対して排他的であることが良いとも思えません。
呪うのも、生きるのも、つぐことの一つとして見ています。そしてつがれたものには、どこか明るい光がこもっているというものです。
この物語を創ってからしばらくして、私自身に様々な変化が訪れました。はじめはどこか、この物語から距離を取って書いていた自分が、突然現実味を持って本作を受け入れることになりました。
でも、改めて読んでみても、確かなような気がしています。センセイはもしかしたら、私にとってのセンセイだったのかもしれません。
であれば、私もエナジーを注ぐ旅に出なければいけませんね。
すべてをNたちに注ぐように。今は遠い、Nを想うように。

サークル・オベリニカ|読後にスキを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?