【創刊号】刊行に寄せて【黎明】
- 本誌について -
- 本文|炉紀谷 游 -
桜賀創藝は、サークル・オベリニカのメンバーが綴る物語の一片を集積したものです。
様々なテーマが、作者の想像を掻き立て、その集合体が作品群として完成する。
文芸雑誌の体裁を取っているのは、それぞれの作品がゆるやかにつながることを期待しているからです。
文字を書くことも、世界を創り出すことも、容易いことではありません。
私たちにとってありふれた言語というものを使って、想像世界を実現させることは高度なイメージの問題なのです。
しかし、ここにあるものはメンバーの精神世界が投影された美しい作品ばかりです。どうかその深みを味わってほしいと思います。
創刊号たる本号のテーマは「黎明」です。
なにかの始まりを意識させるこの文言は、同時に、何かの終わりを前提としています。
本号タイトルのなかにも、黎明と結びつきがあるかがわからないものもあるでしょう。
しかしそれは、言葉のイメージが同時に包括する別のイメージとの緩やかなつながりであり、相互作用的にテーマと作品が結びついていると考えてよいでしょう。
私は、今回の「黎明」というテーマを考えたときと、そのテーマから生まれたタイトルを読んだときに、感じたことがあります。
今回の「黎明」に仮託されているものはなにか。
それは「生きる」ということです。
生きるとは、意味付けが最も困難であり、また同時にする必要のないと叫ばれるほどに、普遍的で一方、意識的なものです。
私達は自らが生きる意味を理解していないからこそ、模索するものです。そして創刊号、黎明、それらの記号が「何かの始まり」となり、同時に常になにかの始まりを想起する「生きること」に結びついたと思うのです。
加えて――生きるとは、明るいものでもあり、暗いものでもあります。黎明は始まりでもあり、それ以前やそれ以降の世界は暗闇であることを含意しています。
故に、記号のつながりに大変な相性の良さを見出すことができると考えます。
とはいえ、本号タイトルが軒並み、希望のうらにどんよりとしたものを含んでいることには驚きました。
これは、「黎明」に対して嫌なイメージを表していきたいという天邪鬼的な考えではなく、切実な精神の現れだと捉えたいと思います。
どのような物事にも、明るい部分があれば暗い部分がある。それらは、両在していて、どちらがいいとかわるいとかではないということ。
精神に向き合ってみると、どうしてもそのような価値観が反映されるのかもしれません。
そしておそらくそれは、桜賀創藝が目指す深みのある作品世界の構築につながっていると思います。
さて。私たちの活動はすべて始まったばかりです。
今回のように、作者の思念や情念が、桜賀創藝という空間を、様々な方向に拡張することを期待します。
創刊号刊行に寄せて、サークル代表から皆様にご挨拶申し上げます。
最後に。本誌が永く続くことを祈念して、一句。
――ひえびえとした<リアリティ>に、何かが残ることを想って。