補習校の思い出
最近、補習校のことをよく思い出す。
1980年代後半〜1990年代前半にかけて、アメリカ南部主要都市にある補習校に毎週土曜日通っていた。運動会などの行事もあった。
私の学年は2クラス合計50人くらい、休み時間になると混ざって遊んで楽しかった。「lights, camera, ハクション!」等くだらない日英ギャグが流行ったり。
小学部は2クラス編成になるくらい多かったけど、中学部は1クラスだったような。
中学生はすっごく大人に見えた。「中学3年生のあの人とあの人は付き合ってるんだって!」みたいな噂話を同級生として、その二人が一緒にいる姿を見るとドキドキしたり。
同級生のほとんどが両親ともに日本人の家庭だったけど、日米など国際結婚ファミリーのお友達も少数いた。
珍しいケースで、親の仕事の都合で日本に住んで日本の普通の幼稚園に通っていて、小学生になってからアメリカに戻ってきたアメリカ人の男の子もいた。アメリカ生まれ&育ちの日本人(ほぼ、日系アメリカ人)の子より、断然日本語が上手だった。「お前の弁当、いつもサンドイッチで不味そう!」とか日本人ボーイズに言われて「クスン・・・」と静かに泣いていた。傍観しちゃって悪いことしたな。
「俺の母ちゃんがハーフなんだよねー」という同級生もいた。「え?あんた100%日本人に見える。全然クォーターに見えないじゃん」とか言われていた。「じゃ、母ちゃん見に来いよ」って話になって、お迎えの時にみんなでその子のお母さんの顔を見に行ったこともあった。みんなで「あー、ほんとですね」「確かにハーフっぽいですね」とか言って、すごく失礼な話だけど。その子のお母さんはカラカラ笑って「そうそう、日本育ちで英語下手だけどハーフなの」って言ってた。
「今日は教員採用試験をしているので、カフェテリアに近づかないように」と先生から注意があった日は、休み時間にこっそりみんなでカフェテリアを覗きに行ったりした。行くよね、そう言われたら。たっくさん大人が座って問題を解いていて、ぼんやりと「補習校の先生になりたい人って多いんだな」と思った覚えがある。
補習校はお菓子の持ち込みが禁止されていたけど、新任の先生がrice krispies(溶かしたマシュマロとお米シリアルを混ぜた手作りお菓子)を持ってきてくれて、美味しくて嬉しくて、「また作って欲しい!」とみんなで先生に伝えていた。数週間後、その先生が真剣な顔で「お菓子の持ち込みが禁止されていることを先生は知りませんでした。皆さんは知っていましたか?」とクラスに問いかけたことも覚えている。シーン・・・・と。お菓子事件。
小学五年生の三学期の終わり、小学部卒業式の司会を担当することになった。もう一人の司会は、ちょっと気になっていた同級生の男の子。その頃には現地校でも補習校でも男女で分かれて遊ぶことが多かったから、1ヶ月前くらいから二人で役割分担、原稿確認、練習するのは新鮮で楽しかった。
補習校の行き帰りは、親のどちらかが私たち兄弟を車で送迎してくれた。助手席に誰が乗るのかを巡ってケンカして、よく怒られていた。怒られた後、後部座席からそ〜っと運転席の母の横顔を覗き込んで確認したのも、なぜかよく覚えている。
記憶の取捨選択で、宿題とか授業とかテストとか勉強関連の思い出はきれいさっぱり無くなっている。本当に何も覚えていない。広いグラウンドと高い空、校舎前の落ち葉、ガラス張りのホール・・・懐かしい、懐かしい光景の記憶も断片的にたくさんある。