丁寧な暮らし、、、してる。
丁寧な暮らし、、、
って、いつ頃からだろ。
色んなトコで見かけたり、耳に入ってきたりするようになった。
《丁寧な暮らし》のイメージと言えば?
雑誌とか?
映像とか?
エッセイとか?
そうしたものからのヒントは
季節の移ろいを大切にして
色んなものを手作りしたり
食べ物や食べ方にこだわったり
物を長く大切に使ったり
生きる事に手間暇を惜しまない
暮らしや生き方をイメージする。
朝日を浴びてヨガとか
土鍋で炊いたお米でおにぎりとか
アロマやキャンドルでホッと一息とか
豆からコーヒー淹れるとか
毎日30分の掃除は欠かさないとか
花を飾る習慣とか
確かに、素敵よねぇ。
でも
《その人達にとっては》
ってトコを忘れないようにしないとな
と思う。
誰かの丁寧な暮らしは
私の丁寧な暮らしとイコールではない。
絶対に
イコールではない。
社会の中では
自分の快適さを100%で保つ事は難しい場合が
多いのではないかと思う。
学校とか会社とかにヤな奴はいるし
昨日まで仲が良くても今日ヤな感じになる事もある。
家族とか一緒に暮らしている人とでさえ
モヤモヤする時がある。
店員さんとかお客さんとか通りすがりの人とかに
不快感を感じる事もあるだろう。
だから、せめて
24時間のウチの数時間だけ、
いや、数分かもしれないけど
自分を満たす事が出来たらと思う事が
丁寧な暮らしではなかろうか。
と私は思う。
だから
うたたねも
漫画も
ながら喰いも
ぼんやりも
私の丁寧な暮らしだ。
人によっては
推し鑑賞かもしれないし
ゲーム三昧かもしれないし
ネットショッピングかもしれないし
ひたすら寝るかもしれない。
ダイニングテーブルで飲む1杯のビールや
明日に回した洗い物
取り込んだままにした洗濯物
なんもしたくねぇかもしれない。
それが明日
重い腰を上げるチカラになっているなら
そりゃあもう
丁寧な暮らしだし
丁寧に生きてるってコトじゃないか。
輝いて見える丁寧な暮らしは
反省を促すものでは決してない。
ヒトツのアイディアだ。
だから
もし素直に
「素敵だなぁ」と思う事があれば
それにチャレンジするのには大きな意味がある。
何事もやってみなければ分からないのだから
新しい快適や
明日への小さな希望を見つけられるかもしれない。
知っているか知らないままかがポイントで
続くかどうかは問題じゃない。
快適なら続くだろうけど
それさえ
毎日は変化だらけで
考えや気持ちも体調も毎日同じじゃないんだし
出来たり出来なかったりするのが当たり前。
素敵なあの人だって、毎日違っているはずだ。
今日は久しぶりの休日。
何も作らないし
何もしない。
うん。
実に丁寧な暮らしだ。