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自己満バンザイ

リビングの一角に古い縦長のガラスケースがある。
それは仏壇のような役割を担っていて
歴代の愛犬の御骨と写真、少しだけもらっておいた毛
破天荒の末、私が10代の時に旅立った父の写真
そして数年前に旅立った母の形見である指輪が
しまってある。

父はアル中で
365日の360日程は酔ってベロベロ。
帰宅したらしたで母と派手な夫婦喧嘩をしては
また飲みに行く。
仕事は殆どしていなかった。
まあ昭和と言う時代は
おおらかっちゃあ、おおらかで
どの酒屋も店先で角打ちが出来、
お金を持っていなくても
ツケでいくらでも飲めたようで
月末になると母がアチコチの酒屋で
ツケの精算をして回っていた。
母が性格が激しくなるのも納得と言えば納得。
それが元で大喧嘩。
小さい娘がお供すれば、角打ち仲間が奢ってくれたりするようで、チョイチョイ連れ回された。
それが元で大喧嘩。
小さい娘が迎えに行けば早く帰ってくるかもと
酒屋に迎えに走らされ、
それが元で大喧嘩。
小さい娘にワンカップを買いに行かせ
それが元で大喧嘩。
肝硬変になっても酒をやめれず大喧嘩。
何度も大吐血して救急搬送され大喧嘩。
そして私が17歳の夏の朝。
布団からちょっとはみ出て死んでいた。
そんな父。
それでも何故だか彼とはウマが合う事もあって
片手でおさまる程には楽しい思い出もある。

母は犬が
というか動物が嫌いだった。
きっとあちらの世界で
「犬と同じところになんて入れて💢💢」
と腹を立てているだろう。
決して意地悪をしている訳では無い。
諸々、都合や塩梅の関係である。

義理の父が亡くなった時
嫁の私はバタバタと忙しく
3頭いた犬達の世話が後回しになっていて
足が悪く火葬場までは行けないと言う母に

「火葬場に行ってる間だけでいいから犬をみててくれん?」
と頼んだら
「嫌。犬嫌い。帰る。」
と、一言。
嫌いなのは承知の上だし
彼女に頼み事をしたくはなかったけれど
苦渋の決断で頭を下げたのだが
てんやわんやしている娘を尻目に
さっさと帰って行った。

昔から私の頼み事には応えない人だった。
私の事をほとんど知らない人だった。

父が破天荒過ぎて
ひとりで家族を守ってきた母には
それなりの事情があったのだから仕方の無い事で
ネグレクトとは全然違うのだけど
アレはまだ保育園の頃だったか
「女の子が生まれたら髪を結ってやりたい」
という母の夢で肩くらいまで伸ばされた髪が
冬の毎夜
お風呂上がりにほんのり濡れたままで
耳にかかり続け、
両耳の付け根がアカギレのようになり
血や浸出液が出て、それに髪がひっついて、パリパリになっていた。
痛いけど、
忙しく、あたりの強い母に伝えられずにいたら
幼なじみの子の母親が気付いてくれて
その子の家で手当てをして貰って髪を結ってもらった。
「頭を洗ったら、髪をよーく乾かしてね。
それから耳に髪がかからないようにね。
そしてコレを塗りなさいね。」
とオロナインか何かを貰った。
母親同士が話をしたようで、帰宅後
「恥をかかされた」と叱られた。
母親にしか出来ないような相談を持ちかけてみた事もあったが、無視されたり、軽くあしらわれたりして
小学生の高学年くらいで全てをあきらめた。
三者面談等も
「私は仕事があるので。ウチの子は何でも分かるし、自分で決められるので本人と話して下さい」
と電話1本で済ませ、担任教師を困惑させていた。
そんなこんなで少しずつ歯車が狂い
「扱いにくい」だの「毛色が違う」だの言っていた
彼女が何処までどう感じていたか定かではないけれど
なんだかんだ
母と私はうまくいかない親子だった。
私のやる全てが気に入らず
必ずイチャモンをつけてきた。
多分、
私は彼女の夢の娘像とかけ離れていたのだろう。

晩年は幾らか気弱になり、それまでの超個性が
やわらいだものの、結局、ギクシャクとしたままで
息を引き取る時に手を握る事も出来なかった。
自分でも小さい人間だな
と思うけれど
どーしても触れる事が出来なかった。
もしかしたら
ただ怖かっただけかもしれない。
私の満たされない気持ちや
母に対する違和感は
要するに彼女に丸ごと愛されたかったという
スーパーマザコン精神から来ているのだろうから
距離をとって見送る事しか出来ないくらいの
喪失感だったのかもしれない。

私が母の理想とする娘なら
何か違っていたかもしれない。
この世での再会が叶わなくなる日を
もっと違ったカタチで過ごせたかもしれない。
でも、私はこう生まれてしまった。
母親すら肯定してくれないなら
自分くらいは
「これでもいい」と思ってやりたい。
カタチだけでも手を取ってもやれないヘタレな自分を
許してやりたい。

あ!
でも、
私には兄がいて
私と母とはこうだけど
兄と母とは凄く上手くいっていて
兄がしっかり手を握って、大泣きしながら見送っていたので、母的には満足の可能性大ではある。

庭では母も私も好きなバラが咲いている。
秋のバラは小ぶりで、
私は
春、大輪に咲くそれより好きだ。
少し切って
味気のないコップに活け、ガラスケースに手向ける。
母は
「何これ?これでもバラなん?」
とか何とかイチャモンをつけているかもしれない。
思えば生前の犬達も
「ほ~ら、見てごら~ん。キレーだねぇー。」
等と興味もないのに花を見せられて
『無』になってたなー。

花を手向けるなんざ
所詮、私の自己満足に過ぎない。
それでも
時が経つ程に可愛さを増す犬達を胸に抱き
父とのほんの僅かな思い出や
母や
母との時間や
自分の事を深く味わうキッカケにはなる。
保育園にどーしてもモンチッチを持って行きたくて
母がエプロンのポッケに忍ばせて登園して
保母さんに叱られたというほのぼのとした思い出も
ぼんやりと見えてくる。
何でもないコップや庭の花くらいのチープさが
気持ちや思い出を軽くしてちょうどいいのかもしれない。

自己満バンザイ🙌

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