韓国のエンタメが持つ政治性
最近、韓国語を勉強している。元々現実逃避の手段として何かを学ぶことが好きだったが、今回はちょっと事情が違う。今更ながら韓国のアイドルグループ「防弾少年団」通称BTSのファンになってしまったからだ。ここで、うんざりしている読み手がいらっしゃるのが分かる。なぜなら、私自身、最近まで韓国ドラマにもK-POPにも全く興味が無く、そういう話題をスルーしてきたからだ。
しかし、映画や文学の方面では興味を持っていた。非常にポリティカルで、プロレタリア文学のような作品が多く、非常に短期間で先進国の仲間入りをした国のねじれた社会をリアリティをもって描かれているからだ。
最近、苦手としていた韓国ドラマにも挑戦してみた。これでもかと苦難が押し寄せる昔の大映ドラマのようなメロドラマやラブコメディは避けて、コラムニスト、編集者、獨協大学経済学部特任教授である深澤 真紀氏のお勧めするサスペンス的なものやフェミニズムを意識したドラマを視聴してみた。
まず驚いたのが、映画のような凝った作り込みだ。多分、ずっと見てきた方からすると、「何をいまさら」な感想であると思うが、韓国が、ドラマにしろ、映画にしろ、K-POPにしろ、世界を意識して作っていることが思い知らされた。
最近ネットフリックスで話題になっている「シスターズ」というドラマは、オルコットの「若草物語」を意識して作られたという。若草物語といえばアメリカの南北戦争の時代の話だ。4姉妹の次女、ジョーはオルコット自身がモデルと言われ、作家を目指している男の子みたいな活発な娘だ。そしてジョーは、その時代から「結婚」というものに捕われない生き方を貫こうとしている。(結局読者からの強い要望により続編で結婚するのだが)
深澤氏がYouTubeの番組でこの「シスターズ」について語っていたが、モデルとなった若草物語が150年も前の作品ではあるが、すでに男性でも女性でもないというノンバイナリ的なキャラクターが登場していたことに驚かされる。決して当時の男性の作家では書けなかった作品だっただろう。
そして、シスターズの画期的なところは、被害者も加害者も「女性」だということである。サスペンスと言えば必ずと言っていいほど、加害者は権力を持つ男性である。たまに女性が加害者の時もあるが、女性が女性の性を利用しないで加害者の立場になることはほぼない。結局は女性の性を差し出している時点で被害者という立場も両立しているのだ。それは「性」を媒介としない階級闘争を表している。
シスターズは、若草物語のように、その時代では当たり前であった、粛々と女性としての生き方を「望まずして進まされている」のではなく、3姉妹がそれぞれ自分の意思で行動を起こす。もちろん、お互いにそれが迷惑になることも多々あるのだが。
一昨年、日本のドラマで「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマが話題になった。三人の元達と離婚後も仲が良く、特に子どもを設けた最初の夫とは、再婚してもおかしくないような展開であった。しかし、最終回でとわ子は「誰とも寄りを戻さなかった」。もちろん、とわ子が会社の社長であり、お金持ちであるという事情もあるが、「結婚しなければならない」という社会ではなくなったことを象徴している。これをとてもリベラルな思想だと批判した人もいたが、150年、いやもっと前から一部の女性の心の中にあるものなのだ。
シスターズは女性の生き方や立場、そして格差問題や政治の問題、今韓国が直面している問題がてんこ盛りだ。そしてBTSの歌詞、ラップのリリックにはかなりポリティカルなものが含まれる。アイドルと言われる彼らだが、浅田彰は言う「BTSは地方出身者ばかりで、彼らを拾ったのも、大手ではない小さなプロダクションだった。彼らはソウルに出てきて、2段ベッドの並ぶアパートで共同生活し、地下のスタジオで1日16時間とも言われた猛練習を重ね、苦労の果てにここまで来た。彼らの音楽は、階級闘争の表現だったんです」と。
防弾少年団の「防弾」は何を表すのか?彼らは何と戦ってきたのか?いまだに先進国気取りの我々日本人も、最年長メンバー、ジンが入隊してしまった今、考えなければならない。
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