映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』監督日記:137 おれたちの伝承館
前回の続き。
2024/4/6 晴れのち小雨 川俣町の齋藤さんのソーラー農場をあとにして福島第一原発の北約20kmにある南相馬市の[おれたちの伝承館]に向かう。
山を越える国道の途中には浪江町津島地区がある。放射線量が非常に高く、事故から13年経った今も誰も帰れない津島の集落を描いた映像作品『ふるさと津島』を見たばかり。ドローンが主人の帰りを待つ家々を巡り、避難中の方々へのインタビューを重ねたこの貴重な記録映像を思い返すと国道からの侵入を拒む鉄柵の向こう側をリアルに感じる。
1時間かけて到着したおれたちの伝承館はプレハブの倉庫を改造した手作りの美術館だ。「おれ」とは東北では男女問わず自分のことを指す言葉なので”わたしたちの”という意味、そして双葉町にある公営の[東日本大震災・原子力災害伝承館]に向こうを張った館名ということだ。
駐車場に入ると笛の音が聞こえてきた。ちょっと中を覗いてみると10名くらいのお客さんを前にコンサートが開かれていた。途中入場を憚かって、まずは庭にある展示作品を拝見した。20km先にある福島第一原発に向かって真っ直ぐに伸びた矢印型の作品と水平線に映える夕焼けを描いた作品が堂々と在る。
笛の演奏が終わり、伝承館に入るとお客さんたちが原発事故と震災について語り合っていた。
“おれ伝”の第一印象は語らいの場だった。
2階まで吹き抜けになっている館内、天井には見事な絵が貼られていて内部を包み込むような迫力が放射されている。何人の作家が参加しているのか数えなかったが、どの作品も其々の原発事故体験を表現している。仮に作家自身に創作の経緯を聞きながら見ることができたら全部見るのに何日もかかるだろう。美術による伝承は文章や言葉以上に見る側の想像力を掻き立てる。それがこの美術館の発起人である写真家の中筋純さんの狙いだろう。中筋さんは本作の公開前にこの日記で書いた「もやい展」の発起人でもある。
2名ずつ5組ほどで来場しているお客さん同士の会話を中筋さんは静かに聞きながら時折自身の体験を語っている。2年ぶりに会った中筋さんに「語らいの場になってるのが凄いですよ」と言うと、まさにそれも狙いだという笑顔を見せてくれた。中筋さんからお客さんたちに『原発をとめた裁判長』の監督だと紹介していただくと、なんとご覧くださった人が2名もいた。作品を高く評価してくださって、会えたことを喜んでもらえた。監督冥利に尽きる。
南相馬も浪江町もほかの原発近隣の町も国道が整備されていたり、道の駅が観光客で賑わっていたりで一見復興が進んでいるように見えるが、元の町の方々が戻って来られる環境には至っておらず、国道を少し外れれば生活の音は聞こえない。原発事故が人々から奪ったものはなにか。
被災した方々にしかわからない悔しさや苦しみを美術で伝えるこの伝承館にたくさんの人が訪れ、3.11を知らない世代にも継承されなければならない。
公営の[東日本大震災・原子力災害伝承館]にはない、本当に伝えるべきことがここにはある。
<映画公式サイト DVD、サントラCD、パンフレット販売中>
https://saibancho-movie.com
<上映会サイト(上映スケジュールもご確認いただけます)>
https://saibancho-movie.com/wp/