電車も職場も換気しませんか?
意外に開いている箇所が少ないor開いていてもわずかな隙間しか開いていないことが多い電車の窓。そんな光景からサラリーマン時代の職場を思い出す。
咳をしている乗客に顔をしかめる人はいるけれど、だからといって窓を開け、換気をしようとする人はあまり見かけない。
コロナで感染拡大中で蔓延防止措置が叫ばれているなか、仕事でやむを得ず電車に乗ると、人の多さと窓の状況をいつも不思議に思う。
窓を開ければ花粉が入る、雨が入る、そんなこともあるだろうけれど、そうでないときもあまり開いていない。
これがサラリーマン時代の職場を思い出させる。
会社の業績が芳しくないと、やれ、あれが悪い、これが悪いと言う人が必ず出る。安易な原因探しである。
そのうち、「あれ」や「これ」が「誰」になり、やれ、あの人が悪い、この人が悪いと、安易な犯人探しが始まる。
結局、文句や不満は聞こえるけれど、自分から状況を良くするための行動に変える人はあまり見かけない。
誰かが何かが状況を、環境を変えてくれるのを待っている、いつか状況や環境が変わるのを待ってしまっているように見える。
電車も職場も「滞留した空気」のなか、良いことは起きないのではないだろうか?
時々、黙って突然、窓を開ける人もある。 有りがたいと思う一方、ちょっと自分としては気になる。
何か事情があって開けたくない人もいるのかもしれないと思うからである。
私の場合は、混んでいる電車でも開けられる場所に辿り着けたときは「開けてもいいですか?」と周囲の人に声を掛けてから開けるようにしている。
周囲の乗客から反応は特にないが、無反応ということは暗黙の承認と判断させてもらい、窓を開ける。
望ましい環境は誰かがつくってくれる、用意してくれるものではなく、自分も関わって創っていくものだと思う。
そして無反応、無言は自分以外の他者への無関心も感じさせる。
電車も職場も「滞留した空気」を換気しませんか?
電車の窓を開けるとともに、心の窓も開けませんか?
自分と家族、友達以外はすべて他者、すべて敵ではないはずと思う。そんな風に思った朝の電車であった。
歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。