
暮らしていく、ということは。
こんにちは。
新年明けて6日の時点で、もう半年過ごしたかのような気持ちとボヤいていたところ。
7日目は『そうきますか!』ということにたくさん出会う。
出会う量と頻度が私のキャパを若干超えていて気がつくことを頭の中で整頓して言語化するのが追いつかない気がして焦ってしまうのが本音。出来る範囲から少し踏み込んで計画的に振り返っていきたい2020年。
ちょうど一年前のこと。
2019年からクックパッドへの料理献立の投稿を開始。
始めた理由は好奇心。
周囲の懇意にさせてもらっている友人が100日チャレンジと称して日々仕事でも家事でもない自分のためのアクションをSNSに投稿するチャレンジに触発されたのがきっかけ。
勢いで始めたことは徐々に失速し、残念ながら私は100日チャレンジは未達成。
友人たちは目標達成。
私と友人の違いはなんだろう?と思い悩んだ話はまた別の機会に。
そのチャレンジがきっかけで今も細々とレシピを投稿している。
それが楽しく、思ってもいないレシピやハウツーがヒットしたりして、自分の好みや強みを知ったり、ニーズやリクエストを知るチャンスが激増。
料理歴は25年くらいになるけれども、好きなものを手当たり次第作ることと、一つのレシピを研究して再現性の高いレシピを作ることは結構違っていてそのギャップに葛藤の時期もあった。近頃は献立もそこまで悩まず【これ調理したらどうなるんだろう?】が楽しくなってきてその延長でマイレシピを確定できたら投稿!のサイクルになってきている。
理想のレシピ投稿イメージがあって、そこを目指しつつ、現実は掛け離れてる実生活がある。
ちょっと前までスマートにアレコレこなせない自分に自己嫌悪してたのだけど、最近はなんだかなぁな自分がちょっと良いんじゃないの、好きだわ、って思えるし、面白がれるように変化してきた。
うまく言いたいけど今のところうまくは書けないから、ただ書く。
調理が好き。
レシピやブログをどんどん書きたい。
美味しい料理をたくさんの人に食べて欲しい。
再現性の高い(どんな人でも同じゴールにいきつく)レシピを作りたい。
でもその前に。
料理をやってみたいという気持ちを持つ人の後押しがしたい。
それは再現性の高さが完璧だとか、簡単だかとか、時短レシピが書きたい気持ちとちょっと違う(今の私にそれらが出来ないから負け惜しみかな?とも思ったけど純粋に興味や関心がそことは違うみたい)
料理って、何かを食べたり、作ってるところを見たりして事実を観察するところから始まっている。
それを再現してみようって見様見真似するとビギナーズラックもあるし、とんでもないものを作り出すことも多い。
それを面白がりながら数をこなすと、レシピ本や料理教室から習得できる料理のエッセンスの集合体じゃない、そこからじゃわからないもう少し踏み込んだところの【物を作り出す感覚】が掴めてくる。
その時点も十分に面白いんだけど、私は料理しながら計画通りにいかなかったり、状況が不測の事態で創意工夫して美味しく作り上げるのがたまらなく好きなのだ。
これうまく使いこなせない文房具や気に召さない文房具を自分流にカスタマイズする感覚も似てるかも。
そうなると、再現性の高いレシピより、うまくいかなかったレシピの救済アイデアを出す方が楽しいのかもしれないな。
書いていくと色々気がつける。
料理って生活を支える1つの手段だから、面倒とか大変だって思ってしまう事を減らして、なんだそういうことね!くらいなハードルのことにして一緒に楽しんで面白がって料理する人を増やしたいのかな。
で?だよ。
救済できる、ってことは
・ある程度の基礎知識
・そこそこの成功
・なかなかの失敗
・結構な軌道修正
ができるってことではなかろうか?
これって料理以外のことにも言えてるかも!
暮らしていくって、日々卒なくやることではなくて、計画通りなスマートな日も、ドタバタ劇も自分と家族や職場の人や地域や社会の手や知恵を借りて、生きていく(食べて働いて休んで遊んで生命を維持していく)ことなんだろうな、と。
そう思えてからは自己嫌悪や、自己否定がほぼ起こらない。
生きていこうとしているのだから。
もうそれは十分な自己受容だと思えるから、大概のことは落ち込みようがなくなりつつある。
そんな考えに至った調理劇を書くつもりで書き始めたんだけどな。レシピサイトにはあげられない調理記録は次のnoteに書きますか。