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人の運命を分けるのは「得」ではなく「徳」

会社で同僚からちょっとした質問を受けたので「それは◯◯ですよ」と教えて差し上げた。
後日、その同僚が色々なところで「だって小澤さんは〇〇だって言ってましたよ!」と、私の言葉を根拠資料にして自分の意見を押し通そうとしていたと、別の同僚から聞くということがあった。

なんだか親切をした人がバカを見たり、素直な人がだまされたり、正直な人が損をしたり、本当のことを言った人が傷つくこの社会。
両親に会社でのことを話したところ「それはそんな人に親切にした仁美ちゃんが悪いよ」と言われた。そうか、私が悪かったのか。

そんな落ち込むことがあったのだが、先日大好きな大河ドラマを見ている中でちょっと救われる台詞があった。

今年の大河ドラマの主人公は松本潤さん演じる徳川家康。
その家康が生涯で最も命の危険にさらされたのが、本能寺の変の後に起こった「伊賀越え」である。

家康の首を狙う奴らがウヨウヨいる道中を、家康はわずかなお供の者たちと250キロ走って逃げ切ったこの逃避行の中で、いよいよ最も危険な土地である伊賀に入る前、こんな台詞をつぶやいた。

「ここからは、わしに徳があるかどうかだ。わしに徳があれば、天がわしを生かしてくれよう」

台詞の通りこのあと家康は敵に捕まってしまうが、かつての自分の行いから助けてくれる者が現れ、難を逃れる・・という筋書きだった。
これ以上はネタバレになってしまうので書かないが、今まで家康がやってきたことが良いことも悪いことも全て本人に返ってくるというストーリーだった。

現代では要領の良い人が得をし、とかく金銭面で得をしている人が賢いように思われがちだ。お金や立ち回りの良さは目に見えるので、確かに評価されやすい。でも目に見える「得」と違って、今回のドラマでは家康がこれまで家臣や民に対して行ってきた「徳」は目に見えないけれど、でも結果として確かに家康の命を救うこととなった。

成功している人は(もちろん本人の努力もあるが)そのご両親やご先祖様が残してくれた「徳」ポイントが高い、という話を聞いたことがある。江戸の平和な時代が200年続いたことも、家康の徳が高かったからなのかなあ、と思いを馳せてみる。

こうして見ると汚れ役、嫌われ役、そして人のためになることをするという一見現代では無価値とされがちな行為も、徳ポイントになると言えよう。試しにTwitterで「献血」と検索してみると「徳ポイント貯めにきた~」と呟いている人が多かった。現代人も捨てたものではなさそうだ。

献血・共同の場を綺麗にする・何の得にもならない人助けなどの行為は、たとえ誰が見ていなかったとしてもお天道様はしっかり見てくれていて、そしてこうした徳ポイントがある人が本当に困った時、不思議な力で助けてくれるように思う。

現代社会に生きていると目に見えるものに囚われてしまうけど、目に見えない世界のことも感じながら徳を積んで生きていきたい。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。

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