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ノンアル・ノンカフェインが、普通に美味しい時代になってきた

最近若い人たちの中でアルコール離れが進み、ノンアルコールが充実しているらしい。あまり根拠はないのだが、同じようにコーヒー・紅茶のカフェインレスやデカフェも進んでいるような気がする。

一昔前まで「ノンアル・ノンカフェの類は、あまりおいしくない」という考えが、社会には確かにあったように思う。
しかしいつの頃からかどちらのドリンクも、ドリンク界の中で徐々に存在感を放つようになってきた。居酒屋に行けばノンアルビールは大体あるし、スタバではカモミールティーラテなどが人気商品群に食い込んでいる。

自分はノンアルはアサヒビールか檸檬堂、コーヒー・紅茶のカフェインレスは生協のものが普通に美味しくてよく飲む。この「普通に美味しい」の域に至るまでは、各社商品開発部による血のにじむ努力があったことだろう。

カフェインといえば幼い頃、テレビの健康番組で「カフェインの被害」というものを見た。それによるとコーヒーや紅茶を夜飲み続けて、不眠になってしまった女性の再現ドラマを、おどろおどろしい効果音付きで放送していた。
目の下にわざとらしいクマがあり「ああ、眠れない!」と叫ぶ。もはや人というより妖怪が画面の中で暴れ回っており「カフェインを取りすぎるとこうなるのか」という思い込みが強く記憶に刻まれた。

そのせいだろうか、大人になってからは夕方以降、コーヒーや紅茶はなるべく飲まないようにしている。友人らと食事に行って、最後に飲まないといけない雰囲気の時などはまあ注文するが、心のどこかで「頼む、カフェインよあまり効かないでおくれ・・」と何かに祈りながら飲んでいる。
逆にあまり寝てない日の朝など、目を覚ましたい時は「カフェインよ効いてくれ〜!」とセブンコーヒーをあおったりするので、人間とは勝手なものである。

友人などは、タリーズに行った時は必ずデカフェコーヒーを頼むのだという。なぜかというと普通のドリップは前に淹れたものであるが、デカフェは注文を受けてから抽出するので、淹れたてが飲めるので良いとのこと。

逆に紅茶でカフェインレスの商品はカフェであまり見ないが、先日アフタヌーンティーに行ったらメニュー表にあった。ものは試しと注文したところ、確かに美味しかったのだが香りは普通のものに一歩及ばず、という感じがした。(個人的な意見です)
まあアフタヌーンティーはポットサービスが嬉しいので、細かいことはどうでもいい。たまに紅茶を注文してお湯とティーバックだけ渡されると「同じ値段ならコーヒーにすればよかった」とか思ってしまうタチの人間なので、お店の人が紅茶が冷めないようにつけたポットの帽子を丁寧に外す様子など見ると、幸せを感じる。

最初の話題に戻ると、令和に入るまでお酒は酔っぱらって嫌なことを忘れるため、コーヒーは寝てない人が目を覚ますため、が目的で飲んでる人が多かったと記憶している。がむしゃらに頑張るための補給水、的な。

でも今その役割はエナジードリンクに移行し、単純にその味を楽しむことが主目的になっているようで、なんだか嬉しい。そもそもお酒もコーヒー紅茶も、嗜好品である。常用するものではなくたまにその味を楽しむもの、と考えると、社会全体がいい方向に向かっているのではなかろうか。

先日はカフェインレス緑茶なるものを見つけ、身体がちょっとだるい時に飲めてありがたかった。友人は妊娠中、夏の暑い時などはよくノンアルビールに助けられたと言っていた。

ノンカフェインとノンアルコールドリンクの台頭は、人にやさしい時代が到来していることの象徴・・なのかもしれない。









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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。