一度でも誰かに光を当ててもらった記憶は、その人の一生を灯し続ける
戦後あるところに、両親を戦争で亡くし学校で悪さばかりする孤児がいました。
あるとき小学校の先生が「お前みたいな悪いやつはここへ来い!」と、当直室に連れて行かれ、その日の夜は先生と一緒に学校に寝泊まりすることになりました。その時、先生はその子のことをぎゅっと抱きしめてくれたそうです。
その孤児は両親の記憶が一切ありませんでした。でも先生に抱きしめられた時「これがお父さん、お母さんの温もりなのかな。お父さんやお母さんがいるって、こんな感じなのかな」と思えたそうです。
先生と過ごしたのはその日だけでしたが、その後その孤児は大人になって会社を起こし、立派な社長さんになりました。会社の面接に何らかの事情で親がいないという人が来ると、積極的に採用して面倒を見たそうです。
また時代は変わって現代。
ある小学校にどうしてもじっと座っていられない男の子がいました。授業中もクラスの中を走り回ったり歌ったり踊ったり、クラスの女性の先生はいつも怒ってばかり。
同時期、先生は学校の研修会で「子どもが何かしたら褒めるよりも、ただ存在をみてあげるだけ方が子どもの成長を助ける」というお話を聞きました。
翌週先生が学校で授業をしていると、また例の男の子が授業中も教室の中を動き回っています。先生は怒りそうになるのを抑えながらツカツカと男の子のところに歩いて行って、彼の両手を握りながら「先生、あんたのこと好きよ」と言ってみました。男の子はポカンとして、そのままその場に座ったままその授業は静かに聞いていました。
翌日もその次の日も、男の子は授業中も動き回りました。でもその度に先生は諦めず彼の目を見ながら「先生、あんたが好きよ」と言い続けました。
夏が過ぎ、秋が過ぎたころ。先生はふと、男の子が最近授業中静かに過ごしていることに気づきます。
先生は男の子に「あんた、最近おとなしいじゃない」と言うと「先生が僕のこと好きって言ってくれたから、もういいんだ」と言ったそうです。
給与が上がったらパートナーが喜んでくれた、テストで100点を取ったら親が褒めてくれたという風に、成果と愛情が等価交換されることはよくあります。
しかしその反対に、人はただ何の理由もなく自分の存在価値に光を当ててもらうと、それだけで生きる希望になることがあるようです。
黒柳徹子さんがある番組の中で「ずっと独身なんて寂しくないですか?」と失礼な質問を受けた時、真剣な面持ちで「一度でも本気で誰かを愛したり、誰かに愛された経験があれば、その記憶はその後も自分をずっと照らしつづけてくれると思います」と答えていらっしゃったことがありました。
たった一度でも、欲得なくただ自分の存在価値を見てもらった記憶は、その後もずっとその人の人生を支えてくれます。
そして今度は「あの先生に言ってもらったように」「あの人にしてもらったように」と、周りの人を灯していく人生を歩むようです。
私たちは誰かの期待に応えるために生きているわけではありません。それでも誰かが自分にかけてくれた想いを基盤に頑張れることがあります。
そうした助け、助けられる循環の中で、私たちは生かされているのかもしれません。
1期はそれぞれ残3席、
入門編はまだまだお席ございます。ぜひぜひ。