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山椒が山盛りの鰻丼は、話題にはなるかもしれないが

知人から「仁美さんの文章教室に行ったらバズりますか?」と質問されたことがある。残念ながら答えはノーだ。というのも私のクラスではことごとくバズりの反対を教えているからだ。

例えば、タイトルについて。

バズることを売りにしている某文章教室では「タイトルはなるべく具体的に、刺激的なワードを入れて」と教えているらしい。
例えば「花火大会の思い出」ではなく「花火大会で脱がした彼女の浴衣」と書いた方がクリック率は上がるということだった。

確かに私もバズるために工夫を凝らしたタイトルをつけまくっていたことがあるが、純粋に表現したい意欲がしぼんで、精神的にくるものがあった。

タイトルに関してはその作品全体を流れる川に名前をつけるように考えるとよいと考えている。
「なるべく多くのクリック数を稼げるように」という考えは一旦脇において、自分の書いた作品がこの広い世界のどこかにいる誰かの心に、一人でもいいから届きますようにと祈りを込めるのがいいのではないかと思う。

『博士の愛した数式』『一瞬の風になれ』など、名作のタイトルにはそうした書き手の祈りのような想いを感じる。また「羅生門」「舟を編む」など、その作品を象徴するキーアイテムをタイトルにもってくるのもいいだろう。

同じようなところで言うと、台詞について。
特に台詞を冒頭に持ってくることへの是非について考えてみると。

「誕生日、お祝いしようか」寝る前に彼から電話があった。私の心は高鳴った。


しょっぱなに台詞が来ると、それだけで強いインパクトで読者をひきつけることができる。だが私のクラスでは、台詞は原則、状況説明の後に持ってくることをお伝えしている。

深夜に電話が鳴った。スマホの画面を覗くと彼からだった。高鳴る心を静めながら電話に出て少し話した後、彼が「誕生日、お祝いしようか」と言った。なんだか少し緊張しているような声だった。

いくぶんインパクトに欠ける地味な文体だが「読者の頭の中に状況を浮かべてから台詞を書く」これを繰り返すとだんだん登場人物と読者の心が一つになり、物語へ静かに、だか確実に読者をいざなうことができる。

あとは、体言止めの是非について。
バズる教室では「体言止めはインパクトがあるから多様するように」と教えている。体言止めとは名詞で止まる文章である。例えばこんな感じ。

仲間に囲まれて、最っ高の週末。
幸せだな・・思わずそんなひとりごとを言う私。
大自然の中でリラックスできて、めっちゃハッピーな時間。

確かにインパクトはあるが・・なんだろうこの感じは。うまく言語化できなくて申し訳ないが、「わたしを見て!」という自意識がもれ出てしまっているというか。
体言止めは自分の想いが溢れた時にぽろっと出るものという印象で、多用することのメリットが思い浮かばない。これも個人の好みもあるけれど。

刺激的なタイトル、台詞から始まる冒頭、体言止めの連発。
これらは確かに読者に強い印象を残すことができる。しかしなんだか小手先のテクニック感が強く、長く愛される文章にはならない気がする。

例えるなら、うなぎのかば焼きには山椒の粉をパラパラと掛けるくらいがちょうどいいように、インパクトというのはスパイス的な立ち位置なのだ。
山椒の粉がどっさり掛かっている鰻丼は話題にはなるかもしれないけど、大事な人と行く鰻屋さんは、やっぱり丹精込めて鰻を焼いてくれる店が良い。

インパクトに掛けてしまいたくなる気持ちもわかるが、やはり地道にコツコツ、自分にだけ見えた世界を誰が読んでもわかるような文章を書いていくのが一番いい気がしている。





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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。

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