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話すのが下手でも、集まりに出かける時間がなくても、文章が書ければ。

先日20名くらいのコミュニティで「久しぶりに飲み会を開催しませんか?」と呼びかけた際、「行くよー」と答えた人数が全員で2名(わたし含む)というさびしいことがあった。

2人で集まっても良かったのだが、その人とは先日お話ししたばかりだったのでオンライン飲み会に変更した。すると当初は「行けない」と言っていた3人くらい来てくれたことがあった。

人と人が関わるとき、リアルで会うのに勝るものはない。コロナでオンラインが発達したけれど、リアルの良さはみんなが痛感したと思う。その一方でオンラインの自由さも知ってしまった。

例えば19時から2時間飲み会があったとする。場所にもよるが会場への移動時間と出かける支度に、1時間半くらいは取られるだろう。
飲み会も2時間きっちりで終わるとは限らない。そのあとの移動時間やなんやかんやで、前後合わせて5時間くらいは固定されてしまうし、翌朝ちゃんと起きられるかの心配も出てくる。

その点、オンラインで出入り自由の場であれば、基本的に拘束されるのは時間通りだ。何かあれば画面オフ・ミュートにしてその場からすぐ抜けられるし、自分のペースで参加することができる。

かつて人脈をつくったりお友だちの輪を広げるためには、お茶会だったり交流会なりリアルの場に行くしかなかった。例え13時から1時間の会であっても、もろもろ含めると1日がかり。

しかし現在はオンラインやSNSが発展したことで、仕事や家庭の事情でまとまった時間が取れない人でも、なにかの媒体に投稿しておけば、後からそれを読んでくれて人とお近づきになるということが可能になった。

またリアルな場ではおしゃべりや立ち回りがうまくて要領のいい人がおいしいところを持っていっていたように思う。しゃべりが苦手で緊張しいの人であっても、書くことで誠実さや内面の豊かさを人に伝えられるようになった。

逆に実際にお会いした時の印象がよくても、その後その人のSNSを見に行ったら「・・・」となることもある。
会った時は明るくて楽しい人だなと思ったのに、その人のfacebookを見たら陰謀論についての投稿ばかりで、ちょっとびっくりしたことがあった。

逆にわたしなどは人とつながりたい・仲良くなりたい気持ちが大きいのに、誰かを目の前にすると何も話せなくなってしまう時代が長かった。

せっかくこの広い世界で知り合えたというのに「あのひとみさんて人、暗いしあんまりしゃべらないし、よくわかんない人ねー」と、自分から人が去っていってしまうことが心ちぎれるほど悲しく、少しでも誤解を解きたくて書き始めたというのが実際のところだ。

ある人は「文章は、敗者復活戦だ」と言っていた。例えリアルの場でいい印象を残せなかったとしても文章で人間性を伝えることが出来れば、いつかまたその人とつながるきっかけになる。

敗者復活戦といえば2008年のM-1(漫才)グランプリで、準決勝で敗れたオードリーが敗者復活戦で勝ち上がってきたときの衝撃が忘れられない。
決勝ファーストラウンドでの2人の漫才を見て、私はお腹を抱えて、涙を流して笑い転げた。そのままあっさり1位で通過していったたのがあまりにかっこよかったのを覚えている。

オードリーくらいかっこよく印象付けられなくても、暗くておしゃべりの下手な私が、文章がきっかけになって誰かとつながることができたらいいなあ。





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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。

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