ずいぶん久しぶりの投稿になりました。 溢れるような書きたい欲が落ち着いたようです。 多分、吐きたいことは吐き出せたと満足したのだと思います。 自分の生い立ち、親兄姉のこと、相続のこと。 自分の中の葛藤。 余りにもみっともない感じがして、自分が不幸な気がして表に出せなくて、でも隠しきれないこと。 親しい人にも話しきれないこと。 話しても理解してもらえないこと。 話すことでかえって傷付いたり、情けなくなったりしたこと。 SNS内の匿名の力を借りて吐き出しました。 SNSの匿名
my favorite things 高校卒業時にプロフィール帳というものが流行った。 もうすぐ卒業して各々の道を歩むという時になのに、お互いに自己紹介しあうというカードである。 時間が経ってから見て、あーこういう人だったなあ〜と思い出すものだろうけど、私にはプレッシャーだった。 プロフィール帳にはname、blood type、addressなどと項目が指定されているものがあり、その中にmy favorite thingsがあったのだ。 私は戸惑った。 名前も血液型
しばらく間が空いてしまいました。 〜しなければいけない。という私の悪い癖が出て、ちょっと苦しくなっていることに気付き、軌道修正をしていました。 のんびり気楽にマイペースに書いていこうと思います。 今から7年前の冬、初めてカウンセリングを受けました。 私にはとてもハードルが高くて、覚悟が必要でした。 世間一般の感覚にとらわれていた部分もあると思います。 カウンセリングを受けないといけないくらい病んでいる自分を認められなかったし、そのくらい悩んでいることを夫に話せなかった
私にとっての若い人は40代も含む。 20代、30代、40代。 みんなまだまだ若い。 そういう若い人達が、生きることに苦しんで疲れているのを見ると胸が詰まる。 エネルギーのベクトルの方向が変わらないかな…と心から思う。 我が子達に年齢が近いからかもしれないが、先を行く私達世代の責任のようにも思うし、私自身が40代、50代の間、苦しんだことも関係していると思う。 もっと早く気づけば良かったと思っているからだ。 10年程前、男子大学生に茶道を教えていた時、『一年でいいからバブル
私が高校生の頃、呪文のように唱えていた言葉だ。 あの頃の自分を表す的確な言葉だと思う。 思春期特有の感傷もあったかもしれないが、今でも時々、あの沼にはまってしまう時があり、ああ、またはまったな、と思うのである。 そういう時は、抜けようね、と自分に声をかける。 それは、あの頃には多分まだ無かった、自己肯定感という言葉に通じる、生きていく上での基礎だと思う。 私は田舎の公立中学から、都会の私立の女子高に入学した。 同じ中学出身者は誰もいない。 私の地元では公立高校へ行くのが当
医学的に右の乳房と左の乳房は別の臓器なので、1回目の乳がんの後反対側にも乳がんが見つかった場合、それは再発でも転移でもない。 新たな原発がんだ。 それでも1回目より告知されるショックは大きく、私の場合は、はっきりとショックを自覚した、という感じだった。 進行度が1回目より進んでいたし、治療についての知識も前より持っているだけに、今後どうなっていくのか、何をしていくのか、何となくわかっていた。 それ故に、たくさんの情報が私の中で一気に渦巻き、逆にどうしよう…とオロオロしてし
2010年、最初のがん宣告を受けた。 こういう時、ショックで頭が真っ白になったとよく聞くけれど、私はそうはならなかった。 夫からも、他人事のように淡々としていたと言われたが、何か問題が起きた時やショックな時、ふっと丹田に力が入り冷静になる。 今、私が考えるべきこと、するべきことは何か? とまず思うのだ。 持って生まれた性格もあるだろうけど、機能不全家族の中で培われたもののように思う。 そうやって我が身を守ってきたのだ。 有り難いことに、早期だったので、慌てて手術や治療に
noteを始めて半年経ちました。 フォローして下さりありがとうございます。 こんな文を読んで下さるなんて…と感激しております。 コメントをつけて下さりありがとうございます。 共感の言葉を聞ける嬉しさを噛み締める度に、前を向くエネルギーをもいただいているように思います。 スキをつけて下さりありがとうございます。 励みというのはこういう事なのか…と人生初の実感をしています。 サポートもありがとうございます。 こんなシステムがあることも知らず、よくわからないままになっている
子育ては自分育て この言葉を身に染みて感じている。 結婚してすぐに、誰一人知人もいなければ文化も違う知らない土地で、馴染む間もなく産まれた娘。 30年前は今より子育てのサポートの体制や意識も低かった。 食べない、寝ない、ぐずるの三拍子揃った子で、毎日毎日、ただ娘と向き合うだけというそんな日々だった。 孤独だった。 娘を抱っこしてひとりで何度も泣いた。 イヤイヤ期や思春期、反抗期、どれも難しくわかりにくく、戸惑うばかりの子育てだった。 そんな大変な娘だけど、いや、そんな娘
学校、職場、地域どこにでもあるいじめ。大人になってもいじめはある。 その構図は家庭内にもある。 卑しめ、嘲笑、無視、暴力、脅し、利用、辱め… やっていることは同じではないか。 いじめの心理の根本は、とても自分本位なマウントではないだろうか。 いろんな力を誰かと比べて、無理にでも上下をつけて優越感を感じ、牛耳って権力を持つことに喜びを持ち、自分に有利な状況を作る。 そこに性別も年齢も関係ない。 あらゆるコミュニティにおいて、その心理の根本は同じなのではないだろうか。 そして
"祝福されない子どもはいない" 毒親育ちにはドキッとする言葉だと思う。 私も母から『本当はもう子どもはいらなかった。』『お父さんは男の子が欲しかったからがっかりしていた。』と言われてきたので、自分を祝福されて生まれた子どもとは思っていない。 なので、こういう言葉を見ると、理解されないのだな〜とか、上っ面だな〜とか、こうやって偏った常識ができるのかも…とか、何度も思ってきたことを繰り返し思うだけだ。 そして、そう思いたいよ…と虚しく思うのだ。 でもある時、ふと思ったのだ。
HSPは生まれながら持つ気質と言われているが、きっと環境にも左右されていると思う。 繊細であることは欠点だった。 繊細な人はメンタルが弱く、小うるさく面倒くさい人だ。 その考え方は一般的だったと思うし、何より母から私はそういうレッテルを貼られていた。 どの時代も多かれ少なかれ子どもは親や教師や周りの大人達から、"この子はこういう子"というレッテルを貼られる。 性格だけでなく、得意不得意とかの能力まで決められてしまう。 そして自分でもそのレッテルを信じてしまうのだ。 でも
言われたことがある事は、ついうっかり言ってしまうことがある。 でもやっぱり言っていいことと悪いことがある。 いくら親子でも。 いや親だからこそ、言ってはいけないことがある。 『あなたは運が悪い』 これに準じた言葉、"あなたはついてない" とか "あなたは恵まれてない" とか "あなたはアンラッキーだ"とか、全て絶対言わないようにしている。 "あなたの運は大したことない。○○(姉のこと)のほうがまだまし。私(母のこと)はすごく運が良くて、そのおかげであなたは何とかなってい
こうやって書けるようになっているのは回復してきているのだなあと思う。 絶縁して間もない頃、違う所で書き始めたことがあるけれど、考えたり思い出したりするだけで辛くなって辞めてしまった。 書くことで癒されていくかもと思ったけれど、タイミングというものがあるようだ。 今はしんどかった思い出がすり替わるのを待っている感じだ。 物事にはいろんな側面がある。 どの側面も正解なのだと思う。 自分の見た側面が間違っているのか?とか、見方が悪いのか?とか思う必要はない。 きっと、じっくり
娘が2才くらいから、私の生育状況や奥に仕舞い込んでいた感情に疑問を持ち始めていた。 "育児と共に親に感謝する"ものと思っていたのに、湧いてくるのは疑問ばかりだった。 何か違う。何かおかしい。私が親に言われてきた事、されてきた事。 そう思っているのに、自然な反応で出る自分の言葉や態度や表情や思考にうんざりして自分を責めていた。 アダルトチルドレンとは少し違う気がするし、時代とか土地柄とか文化とかそういう違いもあるよね、それに親は皆んな初めてなんだから迷うし間違えるし、いろいろあ
親は子どもの幸せを願うもの。 誰かが言い切ったこの言葉を信じていた。 しかし、毒親について調べていくうち、親からの嫉妬があることを学んだ。 信じ難いがそのパターンかもしれない。 姉が私に嫉妬していることは、すごくわかりやいので理解していた。 でも母もなのか…。 そういう感情が子どもに対しても湧くのか…。 自分も親なので、どうにも理解ができなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。 母の私への嫌味がどんどん増していった数年前、思い切って母に確認した。 『ねえ、私に嫉