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モーガン・ フィッシャー インタビューby伊藤大輔(音楽ジャーナリスト)

一九五○年英国に生まれ、日本在住のモーガン・フィッシャーさん。
キーボードの演奏家/作曲家/プロデューサーであり、英国ロック・バンドのクイーン、近年他界したデヴィッド・ボウイと関わり、日本でも細野晴臣と共演するなど、数々の経歴を持っています。
音楽に詳しくない方でも、ホンダや日産などをはじめとしたコマーシャルなどで、知らずに彼の音楽を耳にしたことがあるでしょう。
今回は彼のミュージシャンとしての側面を紹介するため、音楽ジャーナリストの伊藤大輔さんにインタビューを行ってもらいました。
若くして全英No.1 ヒットを獲得したフィッシャーさんの、若い頃の音楽体験から、これまで歩んできた音楽人生をうかがいました。

DIY精神に感化され、自分のスタジオを作る

 「11歳の頃からピアノを習っていて、バッハのテーマを弾いたりしていたのですが、それに飽きてしまい、先生に“もっと面白い曲はないんですか?”と聞いて、ハンガリーのバルトーク・ベーラを教えてもらったのですが、これがとても面白かった。   
 それがきっかけでリズムの変わったモダン・ミュージックが好きになり、図書館でジョン・ケージやカール=ハインツ・シュトックハウゼンのレコードを借りて、聴き漁っていました。若い頃からいろんな音楽が好きでしたね」

 ちなみに10代のフィッシャーさんは一九六○年代のイギリスのユース・カルチャーでもあったモッズに影響を受けていたそうで、彼が初めて作ったヒット曲「EverLasting Love」もソウル・ミュージックでした。その後、同じくイギリスで勃興したパンク・カルチャーのDIY精神(DoIt Yourself =“自分でやる"の略語)に感化されて、自分の専用スタジオを作ってレコーディングをするようになったそうです。

 「ちょうど一九七八年くらいの頃です。自分のスタジオがあるのはとてもいいですよ、何しろお金がかからないですから。   
 その頃に作ったのはパンク・ロックじゃなくて『Slow Music』。これは私にとってはじめてのアンビエントの作品でした。その頃のイギリスはパンクだけじゃなくて、ブライアン・イーノ(※アンビエント・ミュージックの先駆者でもある英国人プロデューサー)がいたロキシー・ミュージックみたいなニューウェイヴのバンドもいて、両方とも好きだったから、僕もパンクもアンビエントもやってみたんです」

瞑想との出会い、そして転機

 この頃からフィッシャーさんは瞑想に興味を持つようになりました。ザ・ビートルズがインドに渡り、ヨガや瞑想に取り組んだように、当時のミュージシャンが思い描いていた東洋思想の影響もあったそうです。当時、ヒット曲を書いてツアーを行う、多忙なミュージシャン生活に疲れを感じたフィッシャーさんに鍼を教えてくれた人が、OSHOのサニヤシンだったそう。瞑
想に取り組むようになってから、音楽家としての転機もありました。

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