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牧のうどん「丸天うどん」は、嬉しさの重みが違います。

こんにちは。福岡に移住してフリーランスをしている酒井です。
そろそろ「うどんの時代」が来てもいいのではと思っています。

…思わず冒頭に「うどんの時代」ということを書いてしまいましたが、確かに「うどんの時代」ってまだまだ来てない、そうなったことがない感じがしちゃうんですよ。

「ラーメンの時代」来ている。
「カレーの時代」来ている。
「餃子の時代」来ている。

だがしかし、
「うどんの時代」…?!

これは来ていると言い切れない感がある。
こんなに日常的に食べられているのに、うどんはなんとなく「まぁ、うどんだからね。」みたいに軽くみられているような気がする。

福岡に来て半年あまり、うどんの懐の深さに驚かされっぱなしの僕からしたら、本当に不本意でしかない。

たださ、うどん好きな人って「争いごと」が嫌いな人も多そうじゃないですか?

特に福岡の「透明なスープでやわいうどん」が好きな人って、多分性格も柔くて付き合いやすいと思うんですよ。

だからね。別に「うどんの時代」が訪れなくても、それはそれでよか。うまかもんは美味い。

というね。朗らかでまろやかな感じの主張もありそうなんですよ。
そんな人たちが愛してそうな丸天うどんを牧のうどんで僕は食べたんですね。

丸天は持ち上げるものと決まっている。

さて「丸天」、東京にいた時は耳にしたことない単語。
福岡うどんに乗せるものを代表する逸品と言ってもよろしいのではないでしょうか。

九州以外の人には「さつま揚げ」と言った方が良いのかもしれませんね。
この表現も福岡の方に怒られそうですが、移住者として謝罪させていただきます。申し訳ありません。

丼に沿うように丸められた練り物。それが丸天。
見てください。この牧のうどんの丸天の気持ちの良いくらいの正円っぷりを。

ととのってるでしょ。
気持ちいいんです。緑のネギ、丸い丸天。うどんの海。
もはや花札の模様ですか!と突っ込みたくなるくらいの気持ちよさ。ありがとうございます。480円。安い!

思う存分のその景色を楽しんだ後で、いよいよ食べる。

丸天といえば、やっぱり持ち上げるものと決まっているんです。
持ち上げて、その重さを箸から感じ取るもんなんです。

でね。牧のうどんの丸天は、やっぱり重いんですよ。

アジを釣っているつもりが、なんだかでかめのアタリが…
おいおい誰かタモ網貸してくれ。

という嬉しい重さ。スマホで撮影しているときに、丸天持っている時の右手が辛かったもん。

そいつをかじってみると、ほんとうに上品な甘さ。そう甘いんです。
魚の甘みが口の中にサーッと広がって、スッと消える。
嫌味ゼロ。旨み100点。優秀な丸天、ここに極まれりなんです。

あと、丸天のいいところって、元のスープの邪魔をしないんですよね。
ピュアなスープをそのまま味わえるっていうんですかね。
いつかスープを存分に味わうために素うどんにも挑戦してみたいと思うんですが、素うどんって多分一息で食べちゃうと思うんですよ。休憩なしに。

それが丸天の場合は「持ち上げる」というイベントがありますから。
この一つの工程が入ることによって、うどんと対峙できる嬉しい時間が伸びる感じがするんです。

そういう意味では、スープの旨さを守って鎮座する丸天が一番、正しい福岡うどんの乗せものというのも納得できる感じがする。

主張しない、でも、ちゃんと美味い。
うどんの時代という「ブーム」は来なくても、ずっと愛されている「文化」をしっかり感じられるそんな一杯でした。

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