「友人とビジネスをしてはいけない」という教訓について
MAF。メインアクターファクトリー。初めて作った会社の名前。といっても結局登記するところまで行かなかったから、ただの会社っぽいもの。若者のグループ。名刺も作った。社長も決めていた。創設メンバーは僕と中1からの友人。多い時には6人くらいで活動していた。
名前には「俺たちは主人公を作る工房なんだ」という願いを込めた。事業内容はあってないようなものだった。個人向けのコーチングとセミナーの開催。僕が個人でやっていたビジネスをそのまま踏襲する形で活動していた。毎月セミナーを開いて、10〜15人くらいはポツポツと人が集まっていた。
「友人とビジネスなんてマジでやめたほうがいいっすよ、うまく行ってる人見たことない」と言われるたびに腹が立った。いやいや俺らは違うんすよ。言いたい気持ちを飲み込んで「そうなんすかね〜」と曖昧に返事をした。一番一緒にいたい人間と一番一緒にいられる方法は一緒にお金を稼ぐことでしょう?俺たちが何か間違ってる??
「俺たち、どうやって生きてくんだろうね」福岡空港の喫煙所。当時付き合っていた彼女と涙の別れをした僕は、手荷物検査のゲートをくぐり、友人と喫煙所でゴールドのアメスピに火をつけた。ふぅ。「さて」の次に口から出てきた言葉がこれだった。「来月クレカの支払いのお金足りないんだよね」と友人。冒険は30秒で不穏の音を立てた。
まるで自分が物語の主人公になったような気分だった。ジェットスターに揺られて羽田空港に降り立った時の興奮。東京。この街には全てがある。全てって何?と言われると何も答えられない田舎者僕と、「全てがある!」という言葉に「なら俺も…」と言えてしまう友人。僕たちはそんなコンビだった。1年半後にコンビは解散した。先日友人が結婚した。おめでとう。
「友人と一緒にビジネスをしてはいけない」という教訓について。一理あるどころか百理あると思います。友人は「ビジネスをしなくても友人」なのだから友人なのであって、「ビジネスをしてもしなくてもいい」という状態で足並みを揃えて歩くのは至難の業なのです。僕は友人と温度差を常に感じるようになりました。発起人は僕なので、僕はよく稼ぎました。でも「なんか東京に行って稼いで楽しそうにしている友人に誘われた」側の友人は、徐々にモチベーションが保てなくなっていきました。
でも12歳からの友人関係がある僕らには、「ビジネスがうまくいかないからと言って関係性をリセットする」という選択肢がありません。ビジネスがなくても成立するから僕たちは友人なのです。徐々にビジネスの話はしなくなりました。
同じ家に住んでいるのに僕は仕事をして友人はアルバイトに行く。時間があえば一緒にパチンコに行き、麻雀をし、寝て起きたら彼はバイトに行っている。何も言いませんし何も言えません。僕たちは12歳の頃から友人だからです。きっと友人も思っていたのではないでしょうか。「俺何してるんだろう」って。「なんかこんなはずじゃなかったな」って。
でも、楽しかったです。友人と練り歩いた新宿。中野のルノアール。野方の喫茶店でよくアポをしていたら、店員さんたちが裏で僕のことを「めちゃめちゃ詐欺してる子」と呼んでいることがわかって落ち込んだ日。隣のサンラッキーでジャグラー打ってさらにその隣のラーメン屋で鬼煮干しラーメン食って帰ったっけ。深夜2時からタクシーで二郎行って後悔したこともあったね。本当に楽しかった。
あれから6年が経ちます。僕はまだひとりであの時と同じようなことをしています。結婚して子供もできました。事業もそこそこ順調で、生活に余裕があって、娘は可愛いし、毎日幸せです。ただ、時々さみしくなります。あなたと歩いた東京の町が。あなたとサンラッキーにいけないことや、朝の松野屋でトンカツ朝食を食べられないこととか。ああ。
いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。