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「昭和の男は時代遅れ」という記事を読んだ「令和の男」が思っていること 『本質はそこじゃない』


今朝の記事で「妻に対して『子供が産まれてから変わったね』というような男はウンチ」と書いたら、フォロワーさんがコメントをくれた。そしてあるコラムをシェアしてくれた。


↓シェアしてくれたコラム


このコラムを読んだ素直な感想は「ああ、ウンチだなあ」が一番だったけれど、なんだかこのコラムそのものに違和感を感じた。コラムになるってことはこの記事を「わかる〜!うちもそうよ!」って言う奥さんがいっぱいいるってことでしょ?なんだかなあ、と思った。


ここは僕のnoteだから持論を炸裂させてもらうけど、僕は別に「昭和なオヤジ」を悪いものだと思ってない。むしろカッコいいとすら思っている。現に僕の父親はもう典型的な「昭和の男」だ。


家のことは何一つしないし、態度はでかいし、二言目には「誰の金で食ってんだ!」だったし。でも僕は父を尊敬している。父は僕を含め三人兄弟を育て上げ、マイホーム(マンション)を買い、その上で僕たち夫婦が「毎週孫を見せたい」と思う程度に良好な関係を築いている。


つまり僕の父は結果を出している。デカい口を叩く代わりにきっちり稼いでくるし、僕たち家族がお金に困った経験は一度もない。「だからなんでもやっていい」というわけにはならないが、父は父の役割を果たしていると思う。


このコラムでいうと僕はずいぶん「令和的な男」だ。家庭のこともきっちりやる。うちは料理は買い出しから含めて全て僕の担当だ。家賃も光熱費も健康保険も全部僕が出す。


掃除も洗濯もやるし、仕事はほとんどをリモートで完結させている。起業しているのでスケジュールもオールフリー。税金、手続き周りも全て僕がやる。


僕がここまでやる理由は「令和的な夫だから」ではない。このコラムを読む限りでは「昭和のおっさんは古い、時代は変わったんだよ」という主張が強い気がする。令和的な男からの視点で言わせてもらいたい。


僕は「今が令和の時代だから」家庭的な男をやっているのではない!むしろ昭和のおっさんのように「デケェ口叩くな俺が稼いでんだ」と言えるだけの力が自分にないことをわかっているから、生存戦略として「できることは全部やる」をやっているんだ。


そもそもどうして昭和では亭主関白が成立するのか。それは男に稼ぐ力があったからだ。もっと言うと当時の稼ぐ力は「一つの会社で勤め上げること」だったから、朝から晩まで働く男は生物的に力を持っていた。


狩猟時代なら「どんな時でも安定してマンモスを狩れるエース」だったわけだ。絶対的な力があるから成立した亭主関白。でも今の時代はどうだ。男にそんな力があるか。僕に「俺が稼いでんだから家のことは全部やれよ」と妻に言うだけの力があるか。


たとえ今あったって、3年後もある保証があるか。ないだろう。あるわけがない。そういう時代だからだ。5年後、みんなスマートフォン持ってないかもよ。10年前はガラケーだったんだから。


僕の父親は「10年後も同じ仕事で食えているだろう」という絶対的な自信があった。だから強気でいられた。昭和の男の強気は時代に支えられていた。だが今はどうだ。そんなに強気でいられる雄が、どれだけいる。


このコラムで問題視されている「昭和の男」は、亭主関白を「男の権利だ」と勘違いしているタイプのことを指すのだろう。


実際に毎月何百万円も稼ぐ男が亭主関白だったとしても、コラムになどなりはしない。「あいつはまあ稼ぐからね…」で終わり。


対して稼がない男が「昭和のオッサンの強気」を「自分もやっていいもの」だと思ってやるから、滑稽に見えるんじゃないのかな。


昭和のオッサンが(オッサンオッサン言って悪いけど)亭主関白をやるために、社会でどれだけのプレッシャーの中戦ってきたのかを考えると、全肯定する気にはなれないが、「まあそういう時代(男は社会で戦ってナンボ)だったもんね」という気持ちにはなる。


僕は亭主関白だった父を尊敬している。もし父がこれで全然稼いでなかったら「結果も出さないくせに偉そうにするなよ」と思ったかもしれない。裏を返せば高圧的な態度を取ると言うことは、それだけ自分にプレッシャーをかける行為そのものだ。


話を戻す。僕は自分にプレッシャーをかけられるだけ、ずっと稼ぎ続けられると思ってない。今は調子がいいだけで「3年後は一文なし」という状況も容易に想像がつく。


だから自分が生き残るために「令和の男」をやっている(別に令和の男をやろうと思っているわけではないけれど)のだ。


自分にできることは全部やるので、できないことは助けてくださいね。お金も稼ぐし家事もやりますが、調子が悪くなることもあると思うので、そのときはよろしくね。協力していきましょう。そんな感じ。カッコよくもなんともない、ただの「生きる知恵」なんだよ。


「令和の男」は、自分が置かれた立場をよくわかっている。男性だろうが女性だろうが稼ぐ人は稼ぐし、今やっている仕事が3年後存在するのかどうかもわからない。生物としての自分の価値は「誰の金で〜!!」と言えるほど高くないことを知っている。


先行き不透明な時代だから協力する。今稼げていることと3年後稼げていることはイコールではない。今は僕が大黒柱をやっているけれど、稼ぎ手なんて毎年変わっていい。


0歳児を育てていると本当に思う。子供を育てるのに必要なのは「お金」よりも「親の時間」だ。だからと言ってお金がなくていいってことにはならないし、子育てだけしていては生活が破綻してしまう。


家庭を運営するために必要なリソースを2人で協力して準備する。どちらか1人が頑張る必要はない。先発投手が最後まで投げ切る必要はないように、調子が悪くなったらポジションを交代すればいい。


だから僕は「稼がなきゃ」とはあまり思っていない。いざとなったら妻(看護師免許持ち)を社会に放てばいいと思っているし、そうなっても十分家庭のことはまわせるだけの経験もある。


もし妻に何かあれば僕は稼ぎながら子育てもできる状態を作っている。もし僕に何かあれば妻が子育てをしながら稼いでいける状態を作っている。「いざとなったら」を日常から話し合い続けている。


こうすれば僕たち夫婦は人生から義務を消す努力をしている。0にはならないけれど、お互いの役はいざとなればお互いが変われる。いつでも攻守交代できるようにしておくこと、これが「令和の男」の本当の狙いだ。


まあ確かに「稼いでさえいればOK」って考えは時代遅れかもしれないね。態度だけデカイ男は論外。淘汰されるも仕方なし。時代は残酷。立ち回れ男たちよ!と令和の男は思う。以上。



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