「ただ話すだけ」のライフコーチングで人生が変わる。ライフコーチングって一体何?
僕は『ライフコーチング』というものを仕事にしている。ライフコーチングと出会ったのは社会人1年目の秋で、ライフコーチと名乗る父親と同じ歳のおじさんに出会ったことから全ては始まった。
僕はおじさんと毎月ファミレスで話すようになった。おじさん曰く、毎月ファミレスで話すことがライフコーチングらしい。
いったいどういうわけだ?と思ったけれど、当時の僕は現状を何とかする術を藁にもすがる思いで現状を変える方法を探していた。ライフコーチングが何か?なんてことには一切興味がなかった。
現状を打破できるならなんでもいい。おじさん、あんたが俺を助けてくれるのかい?だったらあんたを信じよう。毎月ファミレスに来ればいいんだな?OK。よろしく。その程度の気持ちでライフコーチングを受け始めた。
その日からおじさんと月に1回ファミレスに行くことが習慣だった。僕とおじさんは毎月他愛もない話から対話を始めた。最近いっぱい納豆食ってるんすよ、みたいな。
だけど不思議と毎回「今真剣に悩んでいること」に話が進んでいって、対話が深まった頃には考えがすっかり整理されて、「そうか、僕はこうするべきだったのか」ということが明確になっていた。
1年ほど毎月おじさんとファミレスに通う生活を繰り返した頃には、おじさんと出会う前とは全く別人の自分になっていた。別に現実が大きく変わったわけではなかったけれど、出来事の捉え方やものの考え方が全く変わっていた。
そして僕は変わった考え方に現実を擦り合わせるべく、行動に出た。大きな決断をした。今までずっと引き伸ばしていた、頭の奥底ではそうするべきだとわかっていたけれど、先延ばしにしていた決断を。
その決断は想像していた通り大きな人間関係の衝突をもたらした。途中で「元に戻ってしまおうかな」と考えることもあったが、この決断はおじさんと長い時間をかけて熟成させてきたものだ。
簡単に引き下がるものか、と不思議な踏ん張りが効いた。その甲斐あってか自分の理想の人生に向けて一歩進むことができた。大きな一歩だ。ライフコーチングがなければ確実に踏み出せなかったであろう、一歩。
その決断からしばらくして、僕はライフコーチを名乗って活動を始めることになる。僕がおじさんから受けてきたライフコーチングはあまりに強力で、なおかつシンプルなものだったからだ。
対話。何を話してもいい、自分をさらけだせる場所。考えて出した言葉に忖度のないフィードバックが返ってくる空間。言葉のキャッチボール。ただそれを一定期間で繰り返すだけ。
たったこれだけの積み重ねで大きく人生が変わった。だから僕も人に対話の場を提供したい。難しいことは何もしない。ただ、対話する相手と場所があれば、人は変われる。
ライフコーチングってなんだ?と聞かれると「ただ話すだけですよ」としか言えない。でもこの自分のために「ただ話すだけ」の場所と相手を準備するのは非常に難しい。
僕もおじさんがいなければできなかったことだし、やろうともしなかった。対話がこんなに人生に効くなんて、思いもしなかったからだ。対話には価値がある。対話できる場所をデザインすることには価値がある。
僕の仕事はライフコーチで、やることは対話の場をデザインすることだ。「ただ話すだけ」の価値を信じているので、「ただ話すだけ」で価値を生める場所をデザインし続ける。それだけで飯を食っている。家族を養っている。
不思議なものだ。こんなことが仕事になるなんて。本人が一番思っている。価値があることは必ずしも複雑なことだけではない。シンプルだからこそ効く。シンプルだからこそ多くの人が見落とす。
ライフコーチとは「ただ話すだけ」で変わる人生があると気づいた人のことを言うのではないかな。