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気違いになるのに忙しすぎた人~父について(10)

がんで亡くなる数日前、父はやたらにいろんな人に電話をかけた。親類や近所の人。自分はもう死んでしまう、ということをまわらぬ口で。やたらハイテンションで。最期を迎える人間はそういう精神状態になるということもあるのかもしれないが、別の要因も実はあったようだ。 

以前は抗うつ剤を大量に飲んでいたらしい。もちろん正式な手続きで処方されたものだが、とにかくびっくりするくらいの量だったということだ。ところが固形物が喉を通らなくなって、薬も飲めなくなる。それで精神のバランスを崩したという。最後に弟が面会に行ったときもかなり一方的なコミュニケーションだったようだ。「とにかく目がギラギラしとった」らしい。

 気の滅入る話だ。 

弟が面会したと聞いた翌日、父に電話をかけて少し話をした。それから三日後、おれは熊本に帰る飛行機の中で喪主あいさつの中身をどうするか考えていた。 

参列してくださった方への感謝、これはきちんと伝える。故人の思い出、これはどうだ。当たり障りのない話でいくには嘘が多すぎる。参列するほぼすべての人が父親のアルコールの問題は知っているのだから。酒を飲まずに立派でした、か。これも駄目だ。依存症は病気であって本人の意思の問題ではない。ということであれば、病気から逃れられたに過ぎない。美談でもなんでもない。そもそもおれ自身がどうしても父親のことを「立派」とは思えない。 

故人が父親としてどうだったか、これは自分にはわからない、という言葉を入れるか。変なあいさつだ。政治的ことばづかい。「直接の言及を避ける」というやつだ。しかし、と続けよう。精神的な弱さを抱えながら、脆い橋をどうにか渡りぬくような人生を生き切ったというのは、そこはやはり一人の人間としてお疲れ様でしたと思うと。 

そういうあいさつにしよう。 

そう、酒をやめた後も父親にとって世界は生きづらいままだったんじゃないだろうか。危なっかしいバランスで生き続ける。狂うほどの努力で正気を保つ。医者もびっくりするくらいの量の薬を飲みながら。この「抗うつ剤」話はけっこうおれはショッキングだった。「自分は今、まったく鬱の気はない」とことあるごとに言っていたのはなんだったんだ。父の精神というのはやはりずっと深いところで損なわれていたのか、という落胆もある。

落胆。ひどい話だとは思う。妻に先立たれて熊本の大地震も経験した人間に対して。しかし自分にはこの人間の血が流れているのだと考えると、やはり軽く恐怖は感じる。厚生労働省のサイトにはこういう言葉がある。 

アルコール依存症の親を持つ人はそうではない人と比べて依存症になる確率が4倍高いとされています。その原因としてまず遺伝があげられます。 (厚生労働省HP)

その原因として、まず遺伝があげられます。

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