ジョン・クラカワー『荒野へ』を読んで(2)
この本を読みながらずっと頭にあったのは、J.D. サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。
『ライ麦畑でつかまえて』というのは、
インチキな社会に嫌気がさして、(おそらく)精神のバランスを崩してしまった青年、ホールデン・コールフィールドが、(おそらく)精神を治療する施設的な場所で、高校を退学になったこないだのクリスマスのことを回想する
という話です。
この「要約してもまったく面白さが伝わらない感」すごいな。
事実確認するのがメンドウなので、『ライ麦……』に関してはうろ覚えの記憶で書きます。間違っていたところあればご容赦orご指摘くださいませ。
『荒野へ』のクリストファー・マッカンドレスとホールデンは似ている。インチキな世界に背を向ける、ということ以外にも、
・親の経済的、社会的地位が高い。いわゆるお坊ちゃま育ち
・妹との精神的な結びつきがものすごく強い
・「月並みなあいさつ」に対する異常なシニカルさ。友人から言われた「会えてよかったよ」に対し、マッカンドレスは「そう、会えてよかった、皆と同じこと言うんだね」。これほとんど同じような話が『ライ麦……』に出てくる
あと細かい話なんだけど、高校のときに酔っ払って女の子を口説くエピソードなんかも。
音楽の趣味、みたいなものもそう。マッカンドレスは1968年生まれなのに、ロックが好きだった形跡がない。「トニー・ベネットの大ファン」だった(そしてジャズやラグタイムをピアノで演奏したりもした)という記述があちこち出てくる。これはかなり面白い話だと思うのだが(反逆的、といっていい精神の持ち主が、この時代にロックではなくトニー・ベネット)、深入りするとめんどくさいのでやめておく。そして、ホールデンも、『ライ麦』で彼の世代よりはちょっと上のジャズやブルースみたいなものを聴いてたように思う。まあ、ホールデンの時代はロックミュージックはまだ生まれてない、ということはあるけれど。
「マッカンドレスは命がけで世俗からアウトしようとしたが、ホールデンはそういうシリアスさはないんじゃないの(口ばっかりだし)」と思う人もいるかもしれない。おれもそう思う。思うのだが、この「人里離れた森に、世捨て人として暮らす」という生活は、J. D. サリンジャー自身がやってるのですよね。ここらへんの話は娘のマーガレット・サリンジャー『我が父サリンジャー』(めちゃめちゃ面白い)に詳しい。「ホールデン的な考え方と、自分自身の考え方の見境がつかなくなり始めた」ということで語られることの多い話ですが、ともあれ、クリストファー・マッカンドレスと「サリンジャー≒ライ麦畑」というのはまあまあ近いところにいるんじゃないかと思う。
サリンジャーの、この「森暮らし」は、色々トラブルが起こるのだが、ご存知の方も多いように、以降、世捨ての度合いがますます増し、作品は出版しなくなり、世間にまったく姿を見せなくなる。40年以上隠遁した後に亡くなる。
マッカンドレスの荒野暮らしは100日ちょい続く。ちょっとしたボタンの掛け違い的な出来事が彼の命を奪ってしまうまで。サリンジャーは90歳まで生きて老衰で亡くなる。
「隠遁生活の長さ」というのは結構好奇心をそそられる問題である。どのくらいの隠遁が人間の精神にとって良いのか。どのくらい以上だと踏み越えてしまうのか。
しかし『荒野へ』にはソローやトルストイといった古典に関する言及は随所にあるものの、「J. D. サリンジャー」の名前も『ライ麦畑でつかまえて』の話もまったく出てこない。さっきの音楽の話を少し通じるような気がする。ユースカルチャー的なものにはあまり興味がなかったのかもしれない、クリス・マッカンドレス。