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プロフィール/私がうつむいていた理由
・・・そうか。
私はいままで、うつむいて生きてきたんだ。
タイトルを考えていて、そう思った。
何がしたいわけでもないのに note をはじめて、何を書こうかと想いあぐねていたら、人に対して自分の内側を公表しようと思った、その思いのルーツが甦ってきた。
『あんたがいま、そんなこと書いていいの?』
それは、夫の口から発せられた言葉だった。
私は癌になって、ステージ3で、様々な方法で癌と戦い、やっと普通の生活に戻ったばかりだった。いま思えば、まだ健全とは言い難かった私の心は、そのひと言で折れてしまった。
その後は、子どもたちのために必死で生きて、何年も経つうちに病気のことすら忘れていった。明るくてポジティブ、元気いっぱいの人間。家族からも、知人たちからも、そう思われている。
・・・んじゃないかな。
自慢じゃないが、癌とわかってからも、泣いたことは一度もない。
病気のことでは。
私の仕事は、主にライティング。ゴーストライターも経験したことがある。
私が癌と正式に(?)診断されて、つまりもうジタバタしたって癌なんだから仕方ない!とわかって、最初に思ったのも『きっと治って、この経験を文章にして発表する!』ということだった。
だが、ステージ3でリンパ節転移の可能性もある乳がんともなると、まずは書くよりも調べる。取材経験を活かして、ネットや本で調べまくった。
中でも最も参考になったのは、同じ癌と闘っている知人の話と、やはり同じ手術の体験を綴っていた女性のブログだった。
だからこそ、自分のことを書こうと心に決めていたのに。。。
『あんた』という言葉にもムカついた。
『10年経たなきゃ、治ったと言えないでしょ』とも言われた。
多分、あまりにも辛くて、その瞬間にもう心は折れていたと思う。
そのときの私は、ひとことも言い返すことができなかった。
もう、何かと闘う余力などなかったんだろう。
でも、いまは思う。私が読んだあの女性のブログが、どれほど私を勇気づけてくれたことか。
彼女が正しかったとか、間違っていたとか、治ったとか、治らなかったとか、そういうことではなく、ただ気持ちが楽になった。
そんな情報がありがたかった。
それだけだ。
私が何かを書くとしても、それでいいんだと思う。
論文を発表したいわけじゃない。
なのに、なぜ私はあんなひと言に負けて、うつむいたまま生きてきたんだろうか。・・・うつむいていたことにすら気づかぬまま。
そこに理由があるとすれば、
それは、いま、何かを書くためなのだ。