叶わない夢ならばそれを夢と呼ぶのはやめようか
夢と呼べるようなものを抱いた記憶が1度たりとない
全部どこか他人事で 何かに強く惹かれたことが特になかった
共働きの両親の元で 幼少期の大半を本と過ごした
それは絵本から始まり 小説 漫画 携帯小説と形を変えた
小学校の図書室の本を全部読み尽くすだろうと言われていた
父親のヤクザ漫画に初めて手を出したのはまだ年齢が1桁だった
与えられたラップトップで携帯小説を朝から晩まで読み漁る日々が続いた
記憶にある中であたしがはじめて創作をしたのは小学校低学年の時
2年か3年の時だと思う
音読カードなる画用紙を半分に折った物の表紙に 皆好きなイラストを描いたりシールを貼る中で あたしは自作の詩を書いた
その頃はポエムなんて言葉も知らないまま 頭に浮かんだ言葉を書き連ねただけで
ただそれを見た当時の担任の驚いた声を今でも覚えている
これ あなたが考えたの?
その始まりを少しだけ覚えている
青い空 白い雲 稀に架かる7色の橋
みんなみんな 僕らが生まれて来る前からある 変わらないもの
ほんの5行ほどの文章の周りに 太陽と雲から顔を出す虹を描いて添えた
残りの数行はもう一生思い出せないし たぶんこれに勝る物は一生書けないだろうと思う
それから暫くして携帯小説に没頭したあたしは 本の小説や漫画を丸1年ほど読まない時期があった
その間に何度も何度も作品を書いては消した
鮮烈に衝撃的なワンシーンだけが思い浮かんだり 夢にでてきたり 強く響くワンフレーズが唐突に現れては 書き溜めてその先を想像出来ずにいた
元々極端なほどに熱しやすく冷めやすいタイプであるため 没頭して未完成の何作品かを保存しては 突然飽きてそれを全てゴミ箱に捨てることを繰り返した
中学生に上がってスマホを持ったあたしが 1番ハマったのがTwitterだった
今ほど偏りが強くなかったそれは当時のあたしにとって 見られる日記 だった
日常的な写真や出来事を投稿したり ふと思いついたことを呟いてそれが大きくなって連投したりした
アカウントを分けることをしなかったので 高校生になって繋がりが増えるといろんな意見が届くようになった
あたしの投稿をポエマーだと笑うひともいたし 厨二病の延長だの イタいだの散々陰で言われた
だけどあたしはやめれなかった
元々目をつけられやすいこともあったが 全校生徒の内Twitterをしている生徒は誰1人の例外なくあたしを あたしのTwitterを知っていた
暫くして訳あって 絶対に消さないと誓っていたSNSのアカウントを全て消した
その後再開したTwitterのフォロワーは極端に狭くなった
それからあたしも見られる言葉の場所をInstagramに変えた
元々写真も好きだった
5年前にお年玉で買ったコンデジは今でも相棒
そしてその写真達に少しずつ言葉を乗せていった
あたしは今でも続けている
たとえ誰も知らなかろうと
たとえ誰も認めなかろうと
先日 日本にいる友達があたしの投稿をストーリーに上げた
こんな言葉選びを出来る友達がいることが誇りです
嬉しくて嬉しくてなんて言っていいかわからなくて1人でスクショを撮って泣いた
頑張れば夢は叶うよ
なんて陳腐な言葉なんだろうと思う
あたしは正確な将来の夢は未だに描けないけれど 日本語話者として日本語の美しさに携わっていければと少しだけ思っている
どうせ叶わないだろう
だけど 諦らめなければ夢は叶う なんてふざけた言葉をどうかかけないでほしい
たぶん夢を叶えたひとは それを叶えたなんて思ってないんだ
それはいつだった結果でしかない
あたしはただ止められないだけ
あたし自身を
書きたい という欲求に自分自身が止まらないし止める気もない
たとえ誰に何を言われようとも 飽き性の自分の性格によってまたゼロからのスタートになったとしても
何度でも何度でもただ自分自身に素直になるだけ
たぶんそれが結果になった時 人は夢を叶えたと言うのだろう
そしてそれを努力と呼ぶのだろう
諦め方を知らなかっただけなのに
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