『双子と紙凧』 (動画あり)
口辺に重苦しいものを感じる時、
心の中にしめっぽい十一月の霖雨が降る時、
(中略)その時には、いよいよできるだけ早く
海にゆかねばならぬぞと考える。
これが私にとっては短銃と弾丸との代用物だ。
カトは哲学的美辞をつらねて
その身を剣の上に投げた。
私は静かに海にゆく。
――― ハーマン・メルヴィル『白鯨』(阿部知二訳)より
(大江健三郎『壊れものとしての人間』収載『言葉が拒絶する』より孫引き)
双子と紙凧
温かな午後の日射しに眼をうるませて
僕らは耳をそばだてて世界の震えを聴いた
うずくまり膝を折りまげて夢みてる塒(ねぐら)で
僕らは昏い水に浮かぶ双子のようなものだろう
カーテン越しに明るむ世界は高らかに笛を鳴らす
僕らはそれを聴いて 晴れやかで寒い外へ出てゆく
*
のどかな休日の午後の光景をくぐりぬけ
僕らは透明人間みたいな気分で歩く
薄曇る世界の彼方から溜め息が降りてきて
僕らが閉ざした唇の継ぎめから溢れだす
押しよせる川のように感情が僕の頭蓋を満たす
世界は僕らのうえに見えない雪の粉をふりかける
揺れる葉蔭で僕らは立ちどまる
何かが僕らの頸すじを撫でてゆく
それを僕らは「思い出」と呼んでる
重たい瞼をもちあげて歩きだす
*
穏やかな老人のように無口に犬がうろつく
いつまでも飛びたとうとしない鳩どもを引き連れて
傾いた日射しに公園のあらゆる細部が翳りだす
僕らの西側の頬がトマトのように赤らむ
遥かな首都高速の憂欝な轟音の中空へ
僕らの恋と夢が紙凧みたいに舞いあがる
揺れるカイヅカイブキの並木径を歩き
僕らは戻れない旅に出る
それを僕らは「人生」と呼んでる
暮れてゆく夕闇の奥へ滑りこむ
*
失くした半分の自分を求めて手をさしのべて
昏い水のなかの双子みたいにかたく目をつむる
電子レンジのなかのグラタンみたいに溶けて弾ける
胸の痛みをおさえ 犬や鳩みたいに口ごもる
僕らが眉根をよせて充血した眼で見あげつづける
痩せた木立のうえの世界は物静かに薄曇る
誰かのナイフや弾丸の代わりに
孤独にさ迷えるイシュメイルは海へゆく
あなたが瞼を泣き腫らす代わりに
僕は夜更けに酔いどれて口ずさむ
(1996年、否樫 侑)
●CD『旧世紀の遺蹟』(2004) 収録曲
★ライヴ動画(2015年8月15日、四谷アウトブレイク)
演奏 : 否樫 侑(vo.g.), 沖野 克宏(g.), 上杉 潤一(viola)