足りないもの探し疲れたら、足りてるもの数えてみたら
このタイトルの文はラッパーのDaichi Yamamotoの「maybe」のリリックでこのリリックは今の生活、SNS が日常の一部になってる中でかなり響いたものである。
僕らは毎日二つの社会の中で生きている。一つ目は日常の社会。街中に出ると見知らぬ人とすれ違いを続けるし、友人家族と会話を交わし、仕事場や学校に行く。時に旅に出たり、普段行かないとこにも行くこともあるだろう。
二つ目は情報の社会。今はもう日常の中の一部であり、溶け込んでいて当たり前かもしれないが、圧倒的に日常社会に影響を与える続けるものだと思う。SNS、インターネットの普及によってあらゆることをすぐ調べれるし、見たいものを見れるようになったとともに見たくないものも調べたりするとすぐ出てくるようになった。この情報の社会があたりまえになり日常の社会と情報の社会を共に生活するようになって、自分とと他者を比べる機会が増えた。
インフルエンサー、自分の憧れている人、親しいもの。見せようと思えばなにもかも見せることを可能にした今の時代で自分には何があるかなと考える時間が増えたし、憧れたものには真似ることもふえた。「あいつは〜ができるけど俺にはできない。」「あの人はあんなかっこいいけど俺は真似してもかっこよくなれない。」「あの人は頑張ってこうなったけど俺は何もしてない。」など前までは映画のワンシーンに憧れたりアニメのキャラがカッコよかったりすると割り切って憧れをもったり、理想を抱くだけであったが、夢を叶えるのを発信したり自分の変化を魅せることができるようになったため現実的な理想を持つことが増えた。それから足りないものを探しつかれた。
足りてるもの数えてみた
短所ばかり数えるのは何にもつながらないし、持っている人は持っているし、手にするために努力する。でも自分にはなにもない。
こんな考え方を打破すべく、「足りないもの探し疲れたら、足りてるもの数えてみたら」というフレーズに出会い、一度考えなおした。
自分にはなにがあるか、自分の持ってる長所を。他人から見た自分の意見をもらったり、集団の中心に立って話を回したりまとめれること。それをしていく過程で周りの人に恵まれていること。人と話すことを恐れずに意見を言えること。考えてそれを言語化できること。それをこのnoteに残せること、でいま僕はnoteと出会い向き合って書けている。
自分より優れている人は必ずいるし、やばいと思うひとは周りにも、ネット上にもたくさんいる。けどそれはもう認めた上で僕もやばいと思われるような人に成り上がりたい。ゆっくりでいい。最初は少なくていい。けど小さな場所からどんどん大きな場所に羽を伸ばしたい。
かっこよすぎるリリックをありがとう。Daichi Yamamoto。いつか自分も人の心に響かせれるような言葉を紡ぎたい。