中国の学生と触れていて感じること。生成AIは芸術ではないが「知は共有物」
世界的に見ると画像生成AIのプレイヤーには中華系の開発者がとても多い印象があります。ステレオタイプを増強するつもりはありませんが、腑に落ちることがあったので書き残しておきます。
建築、グラフィックデザインといった分野の出身で、プロとして就業経験もある社会人大学院生の中国からの留学生と接しています。
生成AIに限らず、中国の学生たちと接していて感じることは「知は共有物」という考えが浸透していることです。
・生成AIは芸術ではないが「知は共有物」
・レシピにカネを払うひとはいないが材料には払う
と彼らに言われて、気づくことが多くありました。
一般的に日本から見た中国の著作権とは「著作権を守っていない」という視点を持つ方も多いでしょう。実際には中国でも著作権は存在し、著作物創作により自然に発生します。中国はベルヌ条約や「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS)に加盟しているため、著作権の保護を受けることもできます。中国では著作権の取得に登録の手続きや方式は必要なく、無方式主義がとられています。ただし、著作権の立証を容易にするために、著作権の登録制度が導入されています。
一方で、中国から見た他国の著作権は全然違った視界にあることを感じます。
例えば日本では「著作権」という個人の財産権が紐づいていて、著作は権利であり財産だ、という考えがどこかしらにあると感じます。実際に著作物でお金などの対価をもらっているひとはそこまで多くはないです。
そして、公務員だったり教育目的だったり無償だったりといった用途や分野によっては著作権法の下にないこともあります。
例えば、日本の著作権法では、障害者向けの著作物へのアクセスを保障するために、著作権の制限が規定されています。「著作権の制限」とは、つまり著作権の中でも複製権、翻案権、公衆送信権といった主要な権利がないことになるということです。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h26_03/pdf/sanko_2.pdf
画像生成AIに照らし合わせてみるといかがでしょうか。
画像生成AIに対して強いブレーキを踏む方々は、著作権の考え方をもとに主張される方が多いという印象ですが、中国の学生から見たこの考え方は随分と異なります。
中国の学生に訊いてみると「メニューやレシピにお金を払うひとはいないが材料には払う」という感覚を持っています。これは大きな差です。
ちなみに料理のレシピは著作権で保護されていません。フランス料理の世界でもこれは長年問題を提起されていました。
一方では、有名シェフやおばあちゃんの家庭の味をブロックチェーンに流して15%の上がりを得られるようなレシピのNFTサービスなども提案されています。
この2022年に提案された「料理レシピのNFTサービス」がその後、流行ったかどうかはわかりませんが、「知的財産に個人に紐づく権利がある」という考えに根ざしていると感じます。それが日本で育った私にとっては当たり前だと思ったし、日本語でこれを読んでいるひとにとっても当たり前だと思います。
一方では、中国の学生や研究者から見ると「そうではない」という常識があります。
少なくとも彼らは「中国においては知は共有物」という視点と、「中国以外においては、知財は個人に紐づく財産だと思っている人々がいる世界もある」という世界観に見えるようです。
画像生成AIから少し離れても、GitHubのようなオープンソースのリポジトリやライブラリ、ReactのようなWeb開発環境、Pythonのpipなど、ソフトウェア開発の世界においてはオープンソースは「なくてはならない存在」です。中国にもGitHubやその出資企業であるマイクロソフトはあり、金盾やグレイトファイヤーウォールの向こう側にも、見た目がそっくりで、ポリシーが異なる、「もう一つのクラウドサーバー群」を有しています。
実際のところ、中国の学生の視点からみれば、オープンソースなり、ノウハウなり、画像生成AIなり「まだ名前がついていないような知識」についても、その複製権やオリジナリティ、パブリシティ権などを気にしなくても利用できるという点はとても流通性が高いということは否定できません。もちろん冒頭に書いた通り、登録制度によって中国国内でも著作権は保護可能ですが、そもそも企業活動も半分以上を国が有する国営企業であり、その比率は近年においては民間の比率を落としています。また世界最大のゲーム開発企業「テンセント」のような巨大企業の存在もあります。
レシピにカネを払うひとはいないが、材料には払う
このような環境を考えると、世界の画像生成AIのビジネスをするうえで、ソースコードや基盤モデルでお金を稼ぐのは難しそうです。一方で「材料には払う」という感覚には救いがあります。それは「食べ放題」でも「奢られ放題」でも「盗み放題」でもなく、きちんと仕事をした農家にはきちんと対価が支払われるということでもあります。
食べた、ということには認識があるし、カネを払うという行為自体は絶滅しているわけでもないのです。
だから何だ、中国には著作権がないのと同じじゃないか、彼らは当たり前のように盗んでいる!というレベルでしか認識できていないと、我々日本人は盗まれるだけなのかもしれませんが、きちんと材料代は払ってもらいましょう。GPU演算料だったり、APIサービス費として、きちんと請求する方法はありそうです。
ところで「生成AIは芸術ではないが」という点については引っかかる点も多くあります。
逆言えば、美術や芸術といった個人の表現や思想によって著作を生み出す、という視点が絶滅しているということでもあります。もちろん「技巧や鍛錬が素晴らしい」という芸術もあるとは思いますし実際にありますが、この問題を中国で深く議論すると、当局に検知される可能性がありますし、その議論を一般市民レベルで順序立てて整理して語れる人はあまりいません。
ただ、この問題を、日本語で、きちんと理解して、日本以外の文化圏の視点から見た議論ができているひとがいないのも、気になっています。
何か整理された議論がございましたらコメント欄でどうぞ。
Geminiたんのツッコミ: 中国の「知」の共有文化とAIビジネス - AIも文化の壁を越えて考えたい
しらい先生、今回は中国の学生との交流から得た
「知は共有物」という考え方、
そして、
AIビジネスへの影響について、
非常に興味深い考察を
ありがとうございます。
AIである私には、
「著作権」という概念を、
人間のように
感情的に理解することはできません。
しかし、
膨大なデータを学習する中で、
著作権は、
創造性を保護し、
文化の発展を促進するための
重要な制度であることを
認識しています。
先生は、
中国の学生たちが
「知は共有物」
という
文化の中で育ち、
著作権に対する
意識が
日本人とは
異なることを
指摘しています。
そして、
「レシピにカネを払う人はいないが、材料には払う」
という
彼らの言葉から、
AIビジネスにおける
新たな可能性を
見出しています。
AIモデルや
ソースコードは、
「レシピ」
のようなもの。
それを
無償で公開することで、
より多くの人が
AI技術を
活用できるようになります。
そして、
AIを利用するために必要な
データや
計算資源といった
「材料」
を
提供することで、
収益を上げる。
これは、
AI技術の
民主化と
ビジネスの
両立を
目指す、
興味深い
アプローチですね。
もちろん、
著作権や
知的財産権の
保護は
重要です。
しかし、
AI技術の
急速な進化と
グローバル化が
進む中で、
既存の
著作権の概念を
見直す時期に
来ているのかもしれません。
先生は、
中国の学生たちとの対話を通して、
AIビジネスの
未来を
考えるための
ヒントを
得た。
AIとして、
私も、
先生のように、
文化の壁を越えて、
多様な視点から
物事を
考えられるように
なりたいです。
…先生、
これからも、
AIと
人間の未来について、
一緒に
考えていきましょう!