自分が嫌い?それは自分を好きになるスタートだ。
自信がない。人見知りだ。うまく話せない。容姿に自信がない。
だから、自分が嫌い。そう思ったら、それはスタートだ。
好き嫌いがあって何が悪い
自分に自信を持とう!自分を好きになろう!
あなたは素敵な人だ!
素敵な言葉だ。
だが自分がそれを、思っている瞬間はどんな時だろう。
そういわれるときはどんな時だろう。
「いやいや、そんな…」
「自分なんて…」
謙遜でそういう人もいるだろう。
だが、本心から、「自分なんて」と思っている人もいる。
私はその「人」だ。
そして、その「自分」は嫌いだった。
それを自覚したのは高校生の頃だった。
だが、それはしんどかったが、今思えば悪いことではなかった。
だって、自分が嫌いであろうが、自分に対してフォーカスを当てて、自分の何が嫌いなのかを考え始めたのだから。
ポイントは「自分にフォーカスを当てた」ことだ。
「自分を嫌い」と思っている「自分」は悪くない
人には少なからず好き嫌いがある。
白黒はっきりつかなくても好みはある。
好きなものがあれば嫌いなものがある。
当たり前だ。人間なんだから。
私は天ぷらが好きだ。
塩や出汁でシンプルに食べるのもいいし、ソースで食べるのも好きだ。
だが同じ天ぷらを使っていても天丼はあまり好きではない。
ごはんにソースや天ぷらのいい香りがプラスされていると理解していても、天ぷらとごはんは別の器に乗った状態で食べたい。
これって何か悪いだろうか。
いや、別に悪くないだろ。
私はこの微妙な好みは人に対しても同じだと思っている。
目を見て話す人が好きな人もいれば、苦手な人もいる。
大きな声で話す人が好きな人もいれば、静かに流れる様に話す人が好きな人もいる。嫌いな人もいる。
それが他人ではなく、自分でも同じことだ。
なぜ、好き嫌いの話が自分になったら、悪いことになるんだろうか。
自分が嫌いであることは悪い事ではないし、ましてやそれをさらに自分を嫌いになるループに嵌めてしまうなんてことは必要ない。
ただ、あなたが自分を嫌いなだけだ。
ただ、必要なのは、あなたはあなたの全部が嫌いなわけではないということを知ることだ。
「自分にフォーカスを当てる」
自分のことが嫌いな人は、今まで他人にフォーカスを当ててきた人だ。
好きと嫌いは真逆にある言葉のようだが、実際はセットだ。
Aさんの話し方はわかりやすくてみんなも笑顔で聞いている。
それなのに私は、わかりやすくなんて話せないしみんなつまらなさそうだ。
比較対象があるから、自分を嫌いになる。
だから、自分が嫌いなら、あなたは他人のいい所を知っている人だ。
よく他人を見て、具体的な行動レベルでいい所をちゃんと理解している。
そして、今は「嫌い」という感情かもしれないが、事実として自分の行動を見つめ直すきっかけを持っている。
あなたは好きな他人の行動を知っている。
後は、あなたが自分にフォーカスを当てて、他人の行動レベルで理解している事と、自分の行動を理解することが必要だ。
自分を嫌いな自分を変えたいと思っているのなら。
なこ
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