締めは「今は仕事に集中したい」

怒涛の3月だった。
忙しい人なんて、この世の中には本当にたくさんいるだろう。
だがこのnoteの中では私が主役だ。

まあ、まずは聞いてくれ。

私はこの3月、忙しかった。
休みの日もなにか自分ができることがないかと、隙間の時間を見つけて本を読んで何かの形にしようとした1か月だった。

そんな風に全力でギリギリまで力を振り絞って、気持ちを無理やりに上向きにして行動に変えた。
少しの移動時間で本を読み、その知識を生かしたり。
手を開けられないときは何かを構想する時間にしたり。

休む、ということを考えたら立ち止まってしまいそうだった。
だから、仕事の時も、プライベートの時も。
「有意義」と自分で思える言動をした。

そして、今日を迎えた

仕事がひと段落付き、次の仕事にとりかかったのが今日だった。
当たり前だが、1つのことだけをしているわけでなく並行して様々なことを進めているし、ひと段落ついたとしても後処理や振り返り、次回に向けてのナレッジを残す。

とはいえ、何かの区切りがついた日ではあったのだ。

だから、ちょっと気が緩んでいた。
ミスをしたというわけではない。

仕事に対して「自分の感情をコントロール」する気が緩んでいた。

だから、かなりのスピード感をもって進めていた仕事にストップがかかり、その上に仲間からの感情が先行した意見に、自分が驚くほどに「プライベート」な感情が揺さぶられた。

のどの奥がぐっと閉まり、息がゆっくり浅くなる。
頭の中では言葉を組み立てては崩していく行為を激しく行っているが、実際は顎をゆっくりと人差し指でさするだけ。

正直、泣きそうだった。

何とかそれに区切りをつけて、5分だけ1人きり(在宅だから気持ちだけ)で反省し、思考をまとめて今後の方向性を決めた。

そんな日だった。

自分が思っていた以上に疲弊をしていたことを感じた日だった。

ここからが本題だ。

聞いてくれ。話は終わりではない。
仕事を終え、プライベートのスマホを開く。

LINEのメッセージが届いていた。

聞いてくれ。
「今仕事に集中したくて、恋愛はいったんしたくないと思ってる。」
今日の締めだ。

原文ママだ。

間違えるな。フラれた事について言及しているのではない。
私はこの原文ママがスマホの黒い画面にふわっと、浮き出てきたのを見て、「これが今月の締めか!」と心が浮き立った。

この感情が伝わるだろうか。
私は今日の日中の仕事でかなり感情を揺さぶられていた。
かなり珍しい出来事だった。

そしてその感情の揺さぶられ方よりも小さい出来事は、ただ私を正気に戻した。
嗚呼、今日は疲れたことに気づけたいい日だった。

インプットよりの1か月だったんだ。
次はアウトプットだ。

こんなすごくいい「締め」を迎えたのと同時にこのnoteを書き始める。
楽しんでほしい。

なこ


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