徒然なるままに

人生で大事なことは「婆ちゃん」に教わった

webで検索していると似たようなタイトルのTVも放送されていたようだが、TVとはまったく関係がない。

私は子供の頃はとくかく虚弱で、親には相当な苦労をかけたと思う。

私が高熱を出して倒れる度に、母は私をおぶって遠方の医院まで駆けていたようだ。熱で朦朧とした意識の中で、ゆさゆさと揺れる感触を少しだけ覚えている。

小さい頃も虚弱だったのだが、それが大学生になる頃まで続いた。

大学生活でも、私にとって皆勤賞なんてものは夢のまた夢。
とにかく、出席日数が理由で単位を落とさずにいることが重要だった。

父は昭和世代なので、とにかく仕事に邁進しており、家庭での会話は少なかった。
家庭において一番長い時間一緒に過ごすことになる母もそれほど身体は丈夫ではなかった。

母が入院したりしたときには、日本の端の方に住んでいた祖母が母の代わりに我が家にやってきてくれた。
当時、我が家は関東圏にあったので、祖母は夜行列車で来てくれていた。

学校でいじめられて泣いて帰ってきたり、歳の離れた姉とのTVチャンネル争いで負けて泣いていると、祖母は私を優しく慰めてくれ、そして言うのだ。

「男にはね、世間に出れば”七人の敵”がおるんじゃ。こんなことで泣いとったら、”七人の敵”に勝てんよ」

幼心でも「敵」って言葉の意味はわかる。

幼少の頃の敵というえば、仮面ライダーに登場する悪の組織の怪人や、ウルトラマンに登場する怪獣である。

ちょ、ちょっと待って、婆ちゃん! 怪人や怪獣が七匹(七人?)も出て来たら、確実に俺、死んじゃう!

と思ったのも覚えている。そしてまた泣いたかもしれない。

また、友達と喧嘩をして、非力である私は腕力では敵わず、腹を立てて喧嘩相手に石を投げつけたとかしたときだったと思うが、祖母に怒られた。

幼い私にはわからない。でも、祖母は怒っていた。

「ならんものはならん!」

ある一線を越えてはいけないと言うことだ。
理屈であーだこーだと言っても、「ダメなものはダメ!」っていう真理が存在するってことなんだろう。

祖母は、というか女性は強いと思った。

私の祖父は職業軍人だったらしく、当時としては大柄な体格で、性格は厳格だった(と聞いている)。

しかし、男性って奴は一度病気になると、めちゃくちゃ弱気になるらしい。

私みたいに産まれながらの虚弱だと、強気と弱気の境目がはっきりしないが、祖父は普段は屈強で厳格だったのに、病気になると弱音しきり。

その点、祖母は強い。女性は子供を産み、育て、守るために強いのだろうか?

手術が必要と聞かされた祖父は祖母に相談したそうだ。

「手術と言われてしもうた。。。どげんしよっとか」

祖母曰く。

「うだうだ言わんと、早よ、切ってこんかい!」

覚悟を決めろ、と叱咤したらしい。
そう、覚悟を決めるのは、女性の方が早いのかもしれない。
祖母はよくこう言っていた。

「7回考えて、良い答えが無かったら、やっぱり無い(7にかけてる?)んじゃ。だったら、最初に考えたことをやれば良か」

早期の決断がよかったのか、その後の祖父は大病もせず、ボケもせず、約1世紀を生き、老衰ではあったが本当に本当に安らかに逝った。

祖母の強さはどこからくるのか?
生まれ持ってのものなのか?
それとも、第二次世界大戦中を生き抜いて来た精神力と生命力のなせる技か。

祖母は戦争中に子供を一人病気で亡くしていた。
戦争末期には栄養のある食べ物なんてない。
衰弱した我が子を目の前で死なせてしまったことを生涯悔いていたそうだ。

母からこんなことを聞いた。

戦争が激しくなると、毎晩のように空襲があった。
祖母には子供が3人いたが、一番上の子は病気で動けない。

相当に激しい空襲があった。
祖母は、祖父と2人の子供(そのうちの一人が私の母)を防空壕に押し込む。
もしもの時には、祖父に子供二人を抱えて逃げてもらわないとならない。
祖母では子供二人を抱えて走ることはできない。

「あたしゃ、ここでこの子を守る」

と言って、爆弾と焼夷弾が降りそそぐ中、木造の一軒家の中に残ったそうだ。

そんな祖母の神通力というか、何かが祖母を守った。

隣家も焼け、自宅の庭には数十本の焼夷弾が突き刺さっていたのに、奇跡的に、本当に奇跡的に祖母の家には落ちなかった。

そんな経験からだろうか。

「この世が地獄で、あの世は極楽。だから、もう何も怖がることはないんじゃよ。もう嫌という程地獄を見てきたからねぇ。あとは極楽だけじゃよ」

そんな祖母も晩年は認知症になった。
私の顔はわかったが、どうしても名前を思い出せないことも多くなった。

祖父はそんな祖母を生涯大事にして、最後までずっと看病した。
職業軍人であり、自分にも他人にも厳格だった祖父だが、おそらく昭和最大の愛妻家だったのだろうと思う。

私も大人になり、医学の進歩と平時の世の中のおかげで、還暦間近まで生きながらえることができた。

ありがたいことに子供もいる。

そして最後に私が今でも覚えている、祖母の痛烈な言葉を紹介して終わりにしたい。

それは、晩婚化という言葉が使われ始めた頃の早い時期で、私が結婚なんてできないなー、と悩みがあった頃。

「結婚できるかどうかをうだうだ悩んでいる若いもんが多いが、心配せんでええ。どんな”チンクシャ”な男でも、子供を連れて歩いちょるよ」

ば、婆ちゃん、、チンクシャって、あの・・・犬のことだよね(笑)(泣)


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おさむくん
ソフトウェア・エンジニアを40年以上やってます。 「Botを作りたいけど敷居が高い」と思われている方にも「わかる」「できる」を感じてもらえるように頑張ります。 よろしくお願い致します。

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