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最後の洋食屋

妻はもの覚えが独特だ。どうやら脳内で記憶を断片に分けて、それぞれ別々の箱にしまい込んでいる。まちがいない。

山形県の山寺がテレビで紹介されていた。妻が「あそこ登ったよね~」と言うので、「天気はどうだった?」と尋ねてみた。

妻の答えは「晴れか雨!」
元気勇気やる気だけは褒めてあげよう。雨がじゃじゃぶりで霧まで出てた上に、寒くて大変だったのに。

そんな妻なので、昔話はすれ違うことが多い。けれど、旅先で印象深かった人の話では盛り上がる。旅先での出会いは、不思議と2人とも同じように記憶している。

山の中の洋食屋「あさかぜ」のマスターも、2人の記憶にしっかりと刻み込まれていて、きっとこれからも忘れることは無いだろう。


妻の勤続休暇で横浜から西へ旅に出た。その日の行程は、岩国の農家民宿を出発し、防府天満宮、秋吉台をめぐって西長門リゾートまでの約170km。

防府天満宮はサクッと観光のハズが、春風楼をすっかり気に入ってしまい、景色に見とれ、風に吹かれ、時間を忘れた。

秋芳洞も僕は2回目なのでサクッと周るハズが、妻があまりに感動したものだから、自動音声の説明をすべて聞きながら、端から端まで往復した。

秋吉台を発つとき、すでに日は沈んでいた。ナビではホテル19時到着。僕らは県民割りのクーポンを使って、ホテルの近くで夕食を取る予定だった。

ほどなくして、妻の両親指が、拝みスマホの上をせわしなく飛び交っているのが気になった。

「ない。ぜんぜん…ない」

ホテル近くの食事処が、到着する頃には軒並み閉まっているらしい。県民割クーポンはあきらめて、途中で食べるしかない。


地方の夜は早い。

途中の食事処も片っ端から閉まっていく。駆け込んだ!と思ったらアウトとか。道はどんどん山奥へ、あたりは暗闇に包まれた。すれ違う車すらいなくなった。

今宵のディナーはコンビニ弁当かと半ばあきらめた頃、妻の指が止まった。
「もうちょっと先に1軒だけあるみたい。洋食屋さん」
「あと3分で到着予定」と言われても、ヘッドライトの先はまったく見通せない暗闇。ホンマかいな。

カーブを右に切ると、「あさかぜ」はいきなり現れた。”ハンバーグ!”の幟とともに。
…というか、幟がなければただの民家にしか見えない。駐車場もどう見ても民家の庭だ。

僕は迷った。この店、大丈夫か?
妻に迷いはなかった。コンビニディナーはお気に召さないらしい。
今晩、食事処でディナーを食べるには、ここが最後の店なのは間違いない。


どうみても普通の一軒家にしか見えない扉を開いた。
「こんばんは~、カズトシくんいますかぁ~」と、友達の家を訪ねる気分。
妻は後ろでまん丸い体を小さくしている。ズルいぞ。

そこにいたマスターは、微妙な間を取ったあと「二人?」と大泉洋さんそっくりの目をこちらに向けてきた。「二人です」とピースサインをすると、ちょっと考えた顔をした後で「お好きな席へ」と返してくれた。ピースサインはこの店では御法度だったのか、あるいは今日はもう閉店の気分だったのか。

微妙な間に戸惑いながら店を見渡す。L字型のカウンター、キッチンスペースの横側に2人、正面に3~4人の椅子が並んでいた。
手元が良く見える、横側の2人掛に腰を下ろした。

妻の胃袋はすでにハンバーグ。僕はメニューのイノシシに目を奪われた。シチューとカレー、どちらにしようか迷っていると「シチューはちょっとまってね…あと1人前しかないなぁ」とマスターが冷蔵庫を確認してくれた。だけど、”迷ったときは安いほう”を人生訓としている僕は、結局イノシシカレーを注文した。

オーダーを受けるとマスターは狭い厨房の中を縦横無尽に動き回った。目を閉じてでも出来るんじゃないかと感じるほど、滑らかで正確な動きだった。それでいて、ときどきフッと動きを緩やかにすると、何かを確認するように呟いているように見えた。


イノシシカレーは真っ黒だった。ひと口で、この店を見つけてくれた妻に感謝した。

「おいしいです。臭みもなくて、牛と言っても分からないですね」
マスターの手が空き、少しゆったりしているように感じたので、思い切って話しかけてみた。
「そうでしょう。猪は煮崩れないから、何日も煮込んでるんです。そうすると、もう臭みはないですよね」
と返してくれた。入店したときの微妙な間は消えていた。それから地元で猪が取れたときに作っていることや、猪猟のことを教えてくれた。

狭い厨房でテキパキと料理をされていたことに感心していると、
「定年まで、寝台特急の食堂車で働いていたんです」
と教えてくれた。

そうだったのか。あのスムーズな動きと、ひとつひとつの工程で確認をとるようなやりかたは、ブルートレイン仕込みだったんだ。


寝台特急あさかぜは、2005年まで東京駅~下関駅/博多駅間を往復していた。「あさかぜ」という店の名前は、マスターが長年勤務していた列車からとったものだった。

小学生の頃、新幹線のビュッフェで食べたコチコチのアイスクリーム。
大学時代、北斗星の食堂車でひとり食べたディナー。
懐かしい食堂車の情景が頭をよぎる。

「列車は揺れますからね、体のどこか一部を必ず壁につけて調理するんですよ」

「長い厨房生活のなかで2回ほど急ブレーキをかけられたことがあって、そりゃもう大変ですよ」

マスターは少しジェスチャーを交えながら、鉄道時代の話を聞かせてくれた。もう何度も客から聞かれているだろうに、面倒なそぶりも見せずに話してくれた。

これがあるから旅はやめられない。きっと僕は、ビュッフェでアイスを食べていた時のように目を輝かせながら、マスターと話し込んでいたと思う。


サイフォンと神戸コーヒーのポスターが目に入り、コーヒーを追加でお願いした。閉店時間が近づいていたが、マスターは快く引き受けてくれた。
コーヒー豆はマスターが気に入って神戸から取り寄せているらしい。注文した翌日にはこの山奥まで届くそうだ。日本の流通バンザイ。

コーヒーはすてきな器に注がれていた。見た目から「萩焼ですか?」と尋ねたところ、他の釜のもので、陶器市で手に入れたものだそうだ。こだわりのコーヒーと器は会話に彩を添えてくれた。

そういえば昨日泊まった農家民宿でも、旅好きな女将が日本中の陶器を集めていた。気に入ったカップをどうぞと言うので、萩焼の器でコーヒーをいただいた。こだわりのカップには心惹かれるものがある。


店を出て、あらためて「あさかぜ」を眺める。良く見ると扉からしておしゃれなレストランだし、建物もシャレている。
入る前とは印象が180度ちがった。タヌキかキツネに騙された気分だ。
いや、イノシシのたたりか。

「あさかぜ」までは自宅から約1000km。かんたんに訪れることはできない。けれども、絶対に、またいつの日か訪ねたい。
料理はもちろん美味しかったけど、それ以上にあの空間で、あのマスターとまた、豊かなひとときを過ごしたい。


食事が終わりに近づいたころ、家族サービス中のおとうさんと、母娘が来店した。おとうさんの顔には少々焦りの色が見えていた。閉店時間から逆算すると、ちょっと難しい時間だった。

僕たちのときと同じように、少し微妙な間でやり取りしていたが「このあと、団体の予約が入っているので」というマスターの一言で、名残惜しそうに出て行った。

あの家族、どうしたかな?
もう30分遅れていたら、きっと僕ら夫婦はコンビニ弁当だった。

夕焼け小焼けで日が暮れて。
あの道を通る旅人に、あさかぜは最後の洋食屋として凛とたっている。

#このお店が好きなわけ

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