【名作迷作ザックザク㉟】真昼の情事は殺しの薫り... 愛憎渦巻く養鶏場で誕生した畸形の鶏は思い遣りを無視した利己主義の末路か...映画『殺しを呼ぶ卵 最長版』(1968)
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(:″*゜;)
小学生の頃、スーファミで発売された『ロックマン7 宿命の対決!』で8体ボス倒した後でもメニュー画面の特殊武器一覧に微妙に隙間があるため、何か隠し武器が入手出来るのではないかと必死にワイリーステージを探し回っていたことを唐突に思い出した、O次郎です。
今回は今月初から新宿シネマカリテにて復刻上映されていたイタリア・フランス合作のスリラーミステリー『殺しを呼ぶ卵 最長版』(1968)です。
先月、他のミニシアターにて当作の幕間予告編を観て俄然興味が湧いてつい先日観てきました。
"思わせぶりな演出が続くわりには大して盛り上がらず眠たかった…"といった辛口批評も散見され、確かに頷ける面もあるのですが、当時のスターが出演して商業的成功も企図された作品でも徹頭徹尾、人間のエゴイズムを殊更に露悪的に描く姿勢はアジアやハリウッドの映画とは違った哲学を感じさせます。
そして濃厚な死とエロスの香りに唐突且つ暴力的な劇判が生理的嫌悪感を掻き立てる・・・いわゆるジャーロやユーロクライムの文法で撮られた作風は尖りに尖っており、話の筋よりも情感、起承転結よりも強烈な画造り優先の、雰囲気を嗜む映画です。
※ちなみに過去に観たユーロクライム映画関係の感想記事はこのあたり。よければこちらもどぞ。
一風変わった情緒の漂う作風がお好きな方々、世間をお洒落に腐した映画が好きな方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・"ELECTRICAL COMMUNICATION"!
※『ロックマン7』まではまだカートリッジのスーファミだったので主題歌は無しでしたが、次作の「ロックマン8 メタルヒーローズ」はサターンと初代プレステのディスクフォーマットだったこともあって主題歌が。
"女版access"という触れ込みも頷ける90年代のテクノ感マシマシ。
ゲームは確かサターン版の方が発売一か月遅く、オマケ要素が多かったハズ。
Ⅰ. 作品概要
※Wikiのページが存在しないためWebサイトをご参照ください。
(あらすじ抜粋)
ローマ郊外にある巨大養鶏場。社長マルコは業界の名士として名を知られていたが、経営の実権と財産は妻アンナに握られている。マルコは同居しているアンナの10代の姪ガブリと愛人関係にあり、妻への憎しみを女性へのサディズムで発散していた。やがて3人それぞれの隠された欲望が暴かれ、事態は予測不可能な方向へと転がっていく。
というわけでこの3人を巡る愛憎劇が主軸となるわけですが、マルコ(演:ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンナ(演:ジーナ・ロロブリジーダ)の夫婦関係がなんとも言えないグラデーションを帯びています。
お互いにもはや恋焦がれるような関係性ではないものの夫婦を続けるのに足る愛情は抱いており、妻アンナはその辣腕ぶりを発揮しながらもその陰に隠れがちな夫マルコの煩悶にも気遣いはあり、対するマルコは妻を目の上のたんこぶと思いつつも、彼女の姪ガブリと密通している後ろめたさと仕事の重責への尻込みから彼女を葬るような度胸も無い。
どちらかの言動が振り切ってしまっていればドラマ進行に弾みが付き、感情移入も容易いのですが互いに悪意らしい悪意が見えないため、冗長に感じられるとすればそのあたりかもしれません。
マルコはその言いようの無い己の劣等感を、秘かに買った娼婦たちを惨殺するプレイ(縛り上げるもののナイフも血もフェイク)に興じることでなんとか抑えていますが、終盤にその事実を知ったアンナがそれを嫌悪するどころか憐れんで、彼の愛を取り戻そうと彼が買うであろう娼婦に扮するあたり妻の愛の深さを感じるというか、普段我々が観る劇映画の愛とは根本的に質を異にする感があります。与え与えられるよりも如何に相手を丸ごと受け入れられるかというかなんというか。
そして主人公マルコが真っ当な喜怒哀楽を示す血の通った人間として描かれるのに対し、周囲の人間たちがあまりに合理的であるあまり主人公だけが割りを食っていく皮肉がなんとも遣る瀬無いところですが、同時に本作の妙味でもあるところです。
マルコは上述の倒錯プレイに秘かに興じているものの、自らの開いたパーティーでの客たちの倒錯したお遊び(家具も何もない殺風景な部屋の中でランダムに選ばれた男女のペアが一定時間やりたいようにやる)には嫌悪感を示し、いざ自分の番には不倫相手のガブリ(演:エヴァ・オーリン)と彼女の旧友だという若い男との仲を糾弾するという、子供じみた嫉妬を示して彼女に鼻白まれています。
また一方で、実験中の偶然で生まれた頭も足も無い肉だけの鶏(これがなかなかにグロテスクなビジュアルである意味の見ものです)に研究員や妻、商工会のメンバーたちがその食肉としての経済性の高さに狂喜する中、"生命倫理に反する"として独断で叩き殺して囂々たる非難を浴びたりも。
そして無垢さの塊のような美しさと肢体を振りまくガブリこそ合理性の権化のような存在。
数年前に両親を交通事故で失って後は自らの美貌で数々の男性を篭絡して衣食住を確保していた模様であり、相棒男性と共謀してマルコにアンナを殺害させ、そのうえでマルコも亡き者として彼らの財産をそっくりそのまま手中に…という腹積もり。
"無邪気に見える人間が一番腹黒い"という構図はよくあるといえばよくありますが、自らの不遇な過去をいわば免罪符にして他者から奪い取ることに何の呵責も無いところが強烈です。
不倫ドラマとしては、アンナが夫と姪との不倫に気付くなり疑うなりでの愛憎を煽るのが筋というものですが、本作ではそこは本意ではないと言わんばかりにアンナが夫の愛を取り戻さんと嬉々として娼婦メイクに努力し、ガブリもそれを後押しする様はなんとも滑稽且つ観ているこちらが居心地の悪さを感じるばかり。
マルコはガブリとの愛の未来を希求するも、本質的には善人ゆえに直接アンナを殺害することは出来ず、養鶏場内に新設した巨大なエサの粉砕機に彼女を巻き込もうとする。
しかしながらガブリとその愛人の姦計でその屈折した性癖をアンナに知られたうえに二人に彼女を忙殺され、絶望して自らの身を餌粉砕機に投じ、晴れて邪魔者二人を始末することに成功したガブリと愛人男性は事前にその謀略を察知していた警官隊に養鶏場で逮捕されてしまう・・・。
一応は因果応報というか、悪だくみをしていた人間はその報いを漏れなく受けたラストですが、兎にも角にも己の愛と道徳に苦しんだマルコだけがいわば真人間であり、残りのキャラクターは皆一様に自己愛と利潤追求に満ちた人非人で、まさに"正直者が馬鹿を見る"をこれでもかと叩き付けるようなシニカルな印象が濃密でした。
Ⅱ. おしまいに
というわけで今回はイタリア・フランス合作のスリラーミステリー『殺しを呼ぶ卵 最長版』(1968)について書きました。
"犯罪映画"というとその犯罪行為やその人間の残酷性をヒロイックに描くものと思いがちですが、いわばその正反対のカッコ悪さ、言い換えれば人間臭さを隠さずにむしろそちらにフォーカスしているのが本作で、それゆえにカタルシスは無しに等しいのですが、それを良しとできるかどうかで評価が分かれるのだと思います。
他方、画作りについては強烈な原色を迷わず恐れず多用しており、その鮮烈なビジュアルそのものに価値を感じる人にも響くものは間違いなく有るかと。
取り止めが無くなってきたので今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
※"タマゴ"で思い出した名曲。
本放送時、幼稚園児でリアルタイムで観てたんだけど一話目ぐらいしか記憶無かったな・・・まぁ、特に後半はストーリーが重苦し過ぎたんでしょう。