【最新作云々68】その女、孤独に寄り添う流浪人... 故郷を捨てた女性が行く先々で孤独に惑う人々を癒すも我が胸中は・・・な孤独の交通整理映画『ちひろさん』
結論から言おう!!・・・・・・・・・・こんにちは。
シンプルに最近、独り言が増えてきたな~と自らの老いにドキッとする、O次郎です。
今回はNetflix独占配信の最新邦画『ちひろさん』です。
2010年代にEleganceイブにて連載された、安田弘之先生による漫画作品の映画化。
掲載誌が大人の女性をターゲットとした女性漫画誌なだけあって、酸いも甘いも知る強かな女性が主人公ですが、安田先生の代表作である『ショムニ』のような群像劇感は継承しつつも、チーム一丸となって有象無象に立ち向かうテイストではなく、全体として優しいながらも寂寥感の漂う作風が得も言われぬ諦観も感じさせ、その"励ます"よりも"寄り添う"感じが象徴的です。
※ちなみに女性漫画原作作品繋がりでいえば、昨年公開の此方も秀作でした。よかったら併せて読んでちょ。
どちらかといえば未だ清純派のイメージの強い有村架純さんが主役の元風俗嬢役とあってか話題作となっていて、既に鑑賞済みの方も多いかとは思いますが、ご自身の感想との差異を照らし合わせて読んでいっていただければ之幸いでございます。ラストまでネタバレ含みますのでご容赦をば。
それでは・・・・・・・・・・"バイナリー ドメイン"!!
Ⅰ. 作品概要
(あらすじ抜粋)
元風俗嬢のちひろは「のこのこ弁当」で働き始める。美人で愛想のいいちひろはすぐに店の看板娘になり、商店街で愛されるようになるが、孤独を好む彼女は他人と深くつきあうことを拒む。そんな彼女の周りに過干渉な家族に悩む女子高生オカジ、母親に放任されている問題児のまことたちが集まるようになる。
原作漫画は売れっ子風俗嬢のちひろの日常を描く『ちひろ』の続篇のようですが、映画では風俗嬢時代は挿話として断片的に描かれるに留まり、あくまでしがない弁当屋店員として働くちひろの日常と、彼女の抱える"孤独"に同調するように集まる老若男女の人となりを描くことにフォーカスしています。
また、原作と比べると登場人物も些か省略されているようですが、凡その人が抱え得る種々の孤独が端的に象徴されており、二時間尺に合わせて非常に上手く整理されていると思いました。
Ⅱ. 描かれる様々な"孤独"
まずちひろが癒す孤独はホームレスのおじさん(演:鈴木慶一さん)。竜宮城の亀よろしく小学生に難癖をつけられていたところを割って入り、店の弁当を食べさせ、自宅まで連れ帰って風呂にまで入れています。
まだ真昼間ながら缶ビールでの酌に誘おうとするも、おじさんは礼の会釈をして去っていく。一言も発しませんでしたが、他人の施しもある程度以上は受けない矜持や己のテリトリーを頑として持っているようで、それを察してかどことなく嬉しそうでもあるちひろでした。
ただ、数日後にそのおじさんが近所の芝生で行き倒れているのを見るにつけ、そのまま警察も呼ばずに土葬にしてしまったのはなんともかんとも・・・ともあれ、ホームレス生活をしているということは何かしらの形で親族との断絶があるはずで本人としては連絡して欲しくなかったかもしれず、ちひろとしても親族が故人を悪し様に言う姿を見たくなかったのでしょう。
そしてちひろが自らかかわりを持ったのがホームレスおじさんなら、ちひろに引き寄せられてきたのが女子高生のオカジ(演:豊嶋花さん)と小学生のまこと(演:嶋田鉄太さん)。
自らの完璧な家庭環境を語るオカジに対して「居心地悪そ…」と共感を示し、まことの悪戯にきちんと向き合い目を見て叱るちひろ。
同種の孤独を経てきたちひろの過去と人間性が垣間見え、またオカジが無作法なまことにお節介を焼く形でそれぞれの若人が主体的に自らの煩悶の殻を破っていく姿は冗長さが無く、没入前提の映画作品の妙味を感じます。
ただ一方で、関わる人間が増えれば諍いも起きやすくなってしまうのが常であり、意識的に人間関係を希薄に保とうとしていたちひろだったものの、旧知の友人のニューハーフのバジル(演:vanさん)とは当初は再会を喜び合ったものの、仲の深さから来る不和が発生してしまいます。
また後半、弁当店の店主の尾藤(演:平田満さん)が自己で長期入院していた妻の多恵(演:風吹ジュンさん)と店の仕込みで栗を剝いているシーンが実に心に残ります。
「こんなに手間暇掛かるんだからやっぱり機械を導入しようか」と言う尾藤に対し、多恵は「面倒だからこそ良い」と返します。
面倒事も自分の糧にし、さらにはその面倒事を一緒に乗り越えようとする相手が居るないし見つけようとする人こそ"孤独"から抜け出す資格があり、そのどれも煩わしく感じる自分にはやはり"孤独"こそ相応しい・・・ちひろはそう考えたのかもしれません。
マンションの屋上でみんなで輪になって晩餐をしますが、楽しげに談笑する皆の中からいつの間にやらちひろの姿が無く。
電話で多恵から「孤独のままでいなくていい」と諭されますが、自身の複雑な胸中を慮ってくれただけで満足だったのか、それでも自分の生き方は変えられないと決心したのか、弁当屋を早々に辞めて町からも去っていったことが示唆されます。
次はどこかの牧場に勤めることにしたちひろ。
仕事の覚えが早いと褒められ、「以前はどこで働いていたの?」と聞かれると「ただの弁当屋です」と。
もちろん風俗の仕事の前歴を上書きするためだったわけではなく、自身の"孤独"をひと時の間癒してくれた人々を決して忘れていない、ということでしょう。
物語中盤、それまで何度も着信の有った弟からの電話に出ますが、そこで母の死を知らされ、逡巡するも葬式には参列しない旨を告げます。
彼女自身、"孤独"に執着するのは、過去に家族との関係に背を向け拒んだことから、翻ってそうした温かみに浴す資格無し、という自分を罰し戒める気持ちが内奥に深く根ざしてのことかもしれません。
Ⅲ. おしまいに
というわけで今回はNetflix独占配信の最新邦画『ちひろさん』について語りました。
素性の知れない異邦人の風来坊が村人の問題に肩入れし、尽力するも縁が深くなる前に人知れず次の町へと去っていく・・・・・・言うなれば『木枯し紋次郎』あるいは『男はつらいよ』的なカタルシスの感じられるカッコ良さがあるかもしれません。
ともあれ、未見の方々で上記のような風来坊作品がお好きな方々にも刺さるかと個人的には強く思います。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。
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