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感情の優劣というものは

"あなたの感じていることや辛さはあなたのものだから、成り代わることもできないし、完全に理解出来るとも思ってない。"
"ただ、あなたが悩んで選択した未来で、友達でありたいと思っている。"

 高校の時、学校をやめたいと言った幼馴染に私はそんなふうに声をかけたらしい。
らしいというのも、私自身が覚えていない上に、この話も母から聞いたものだからだ。
いかんせん人の脳は忘れん坊なので、いまだにその出来事は思い出せないけれど、実に私が言いそうなニュアンスの言葉だと思う。言ったんだろうな。

 彼女が私の言葉を覚えていてくれたことに心の奥がじんわりと暖かくなって、自分を又聞きという形で改めて認識し直すという不思議な体感を経験した。
そしてその頃から私の考え方のクセは出来上がりつつあったのだなと感心もしてしまった。

 苦しいと思うこと、辛いと思うことは、すべてがすべて悪いものではない。というのが、私の考えだ。

 私は、感情というのは歴史だと思っている。
今までの生活や出来事で得た知識の中から、無意識のうちでも自分で選んだ世の中の見え方があって、それに基づいて感情が生まれる。

 考えると、全ての感情の根源には出来事があるように思う。
例えば裏切られた・約束と違うと怒りを感じることがあったとしたら、期待に応えてくれないという哀しさや寂しさや落胆が、怒りとなって表に出ているんじゃないだろうか。
 哀しさや寂しさや落胆も、喜びや幸せと同じところで感じる物だ。喜怒哀楽の感情はただそこにあるだけで、感情そのものに優劣なんてない。
その優劣の基準は今まで人として過ごしてきた生活の中で私たちが学び、選んできたものだ。
 感情が産まれた出来事をまるきり無視して、哀しさや怒りを悪いもの、喜びや楽しさをいいものと纏めて一括りにしてしまうのは、少しさみしいと感じてしまう。

 感情に振り回されて極端な選択をしてしまうことだって、悪いことじゃないと私は思う。
ただその感情と選択のせいであなたが消えたくなるほどの居心地の悪さを感じているのなら、その暴れん坊な感情が落ち着く居所を、一刻も早く見つけてあげるほうがいいだろうなとは思っているけど。

 産まれた感情の出所を探って、その生い立ちを自他共に理解しているかどうか。
その感情の存在をただ認めてあげられているかどうかで、その感情の居所とその後の身の振り方が変わってくるのかもしれないね。

 今の私のこの考え方や心の動きは過去の自分が選んで生きてきた結果で、あなたの感情だって、今までのあなたが手にとって選んできたものだ。
思い返して、これでよかったのかと不安になることもあるかもしれない。

 ただ私が思うに、過去の選択には間違いも正解もなくって、感情と同じようにそこに存在するだけだ。
だからこそ、過去の感情や選択にとらわれず、なるべく健やかに生きていて欲しい。

 いつだって、彼女にとって、あなたにとって、わたしにとって。
現在と向き合ったときに「よかった」と思える選択ができているといい。

 今も昔も、あなたの心の通りがよくなる未来を願っているよ。


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