思考する事で己を幸せにしているんだよ
私はわたしを心から愛しているのだけれど、自我を持ったその瞬間から愛していたわけではない。
この世の中で1番大嫌いだったし、消えてなくなりたい筈なのにのうのうと生きている自分が憎いと思うことだってあった。
その意識が特に強く出ていたのは中学の頃だ。
「私はこんな人間だ」と自認していた姿から離れてしまうことが何よりも苦しかった。
「ありたい未来」を実現するセンスも、センスをカバーする知識も経験も、資金もなかった。
だから、どこにも行けない何にもなれない自分に、こんな筈じゃないと喚き苦しみながら生きていたんだろうな。
私たちは私たちそれぞれが認識している世界が全てだ。
だからこそ、些細なきっかけで簡単に絶望に染まる。
そのわりに幸せをわからせようとするのは一朝一夕ではいかないんよね。
それは人間の悩ましくいじらしいところだなあとは思うけど。
わたしがあの頃感じていた自己嫌悪だって、元を辿れば自分を愛したい心の現れだったんだろうなと、大人になった私は感じているよ。
まあひとつ本音を言えば、大人になった今だって、自分が嫌な人間だなあと思う瞬間がある。
めんどくさがりなところ、見栄を張ってしまうところ、言葉の意味を勘違いしてまうところ。
相手の大切なものを無自覚に踏み荒らしたり、自分の考えが正しいと決めつけてしまうところ。
こうでありたいと思う自分のイメージと違う事を無意識にしてしまうところ。
大人になったと思っている今でも、本質はなにも変わっていないと理解してしまって、自己嫌悪が膨れてしまったりする。
でも、私は私が未熟だと知っている。
こう考えた方がもっといい方向にいくかもよと、他の人に伝えるような感覚で考え、未来を変える事ができる。
そんなふうに、よくわからない器用さがある今の自分が、とても好きだ。
この場所は、それでもふとした瞬間に自己嫌悪で潰されそうになるわたしに、真っ直ぐな愛し方を思い出してもらうための。言わばわたしへのラブレターにしていきたい。
わたしの為に綴った文字が誰かの足取りを軽くするのであれば、それもまた素敵なことだよね。