アーティスト、という言葉
アーティストと名乗るのは恥ずかしい?
いわゆる「プロ」じゃなくても自分で音楽を作って発信できる今の時代、アーティストという言葉の意味がぼやけている気がするんですよね。
例えば、音楽を作ってTwitterで発信しているアマチュア的な立場の人って、なんていうか「DAWいじって色々やってたらこういうの出来たから流す」みたいな感覚があるというか、個人的な遊びの延長線上であって、「作品」みたいな畏まった姿勢がないことが多いように感じられて。
Audiostockも一言説明とは別に、楽曲の正式なタイトルつけられるんですけど、そこにも「ポップで可愛いBGM」ってつけちゃったりとか。
別にその人がどんな価値観で音楽と関わっていようと、本人の自由だとは思うんですけど、僕はどうしても、自分の世界を持ってる人に惹かれる傾向があるので、自分の作った成果物を「作品」という扱いをしてなさそうな人は敬遠してしまうところがあります。
「アーティスト」って名乗るのは、例えば事務所的な会社の後ろ盾がないとか、商業音楽のステージに立ててない一般の人からすると恐れ多い感覚や、周りから「スカしてる」って思われないかという不安が伴ったりするのかな、とも思います。
でも、「アーティスト」だの「ミュージシャン」だのって、作品があって名乗ればその瞬間からなれるので、別に気負わなくていいのでは?と思います。
自分の作品好きですか?
僕なんかはバンド上がりなので「自分達の音楽」みたいなものを強く意識する感覚がすごくあって、BGM用に作った1分そこらの商品であっても、世界観とか背景とかを考えがちです。自分の作品好きなんです。(たまに「どうしてこれで出しちゃったかなあ」と思うものもありますが)
自分の作品好き、という感覚が溢れる人は、自分を大事にしてる人だと思います。それは自己中とか自分勝手という意味ではなく、自分の感じ方、見え方を大事に持っている、という意味です。自分の感じ方見え方なんて、他人は率先して大事にしてくれないものですからね。
作曲家の澤野弘之さんは、ベスト盤に入ってた本人解説インタビューで「自分の曲が好きすぎて、ベストアルバム作るならこういう曲順っていうプレイリストを昔から用意してたくらいで、ちょっと痛い感じなんですが」とご自分を揶揄してましたが、僕は澤野さんのその感覚すごく共感できるのです。
自分の見えてる世界を音にしよう
「ぜひお聴きください」という言葉がセットになって、動画なり何なり色んなメディアで山のようにどこかの誰かが作った音楽がタイムラインにどんどん流れてくる時代ですが、僕の場合は音を聴いて「ああ、この人の見えてる世界はどんな感じなんだろう」と気になる人の音楽を聴いてみたいです。
世の中に対しての主張とか別になくてもいいんですよ。社会に反逆する必要も、戦争撲滅を訴えなくてもいいし、「ただ自分はこう感じる」を素直に、遠慮なく出せば十分その人の世界だと思います。
技術を磨くのはその世界を具現化するための精度を上げるプロセスです。そういうのを「アーティスティックな部分を鍛える」っていうんだと思ってます。
音楽やってる人はできればみんな、「自信ないへなちょこ曲です、もしよかったら」みたいな低姿勢じゃなくて、「これが俺の世界だ、わかったかお前ら」くらいの気持ちで(言葉には出さずに)、かつ相手に気に入られようとか迎合せずに、ぶちまけてほしいです。
そこに「結果出してる出してない」とか「メジャーデビューしたかどうか」とか関係ないです。
ここまで書いて、過去イチ何が言いたいのか分からない記事になってきて自分でも困惑してますが、
ちなみに、僕はこういう世界が見えてます(というのを音楽にしました)