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日本史論述ポイント集・戦後③

今回は、高度成長を中心に戦後日本の経済について見ていきます。

戦後の日本が「奇跡の復興」を果たした要因はいくつも挙げられますが、中でも、GHQによる戦後改革(農地改革・財閥解体・労働改革)が的確であり、その礎を築いたということが指摘できるでしょう。

これまで何度か指摘したとおり、戦前の日本経済は国内市場の狭さと国際競争力の不足という弱点を抱えていました。(近代⑤参照)

国内市場の問題にダイレクトに働きかけたのが、農地改革と労働改革でした。自作農の創設による家計所得の向上と、労働組合運動による賃金の上昇で、国民の消費力が高まる。こうして、「三種の神器」「新三種の神器」と呼ばれる電化製品を中心に消費革命が起こり、「一億総中流」の意識が形成されました。

一方、財閥解体は冷戦の進行とともに不徹底に終わったことで、適度な経済力が温存されるとともに、競争が促されました。

このような形で、戦後改革は高度成長の礎を築いたのです。

しかし、順調に成長を遂げているように見える日本経済も、1950年代には「外貨の天井」という問題を抱えていました。石油・鉄鉱石などの資源や重工業製品を輸入に頼っていたため、設備投資が拡大すると、たちまち外貨が底をつき、そのたびに成長にストップがかかってしまったのです。

そこで、55年体制下の自民党政権(岸内閣・池田内閣)が取った手段は、国際経済の冷たい風にさらして日本の産業を鍛えること、つまり、開放経済体制です。

こうして、1960年代後半には大幅な貿易黒字に転じ、「外貨の天井」も解消されて、長期にわたって好景気(いざなぎ景気)が続くことになったのです。

今回は、こうした高度成長の要因に着目して理解を深めてください。


戦後③・戦後日本の経済 

Q1 傾斜生産方式の狙いと結果は?

A1

①狙い:鉄鋼・石炭などの基幹産業に資材と資金を集中させ、生産の復興を図る。

②結果:極度の物不足は解消されたが、インフレと財政赤字が生じた。


Q2 ドッジ・ラインの結果はどのように評価できるか?

A2

①徹底した緊縮政策によって財政は健全化し、インフレも収束した。

②1ドル=360円の単一為替レートが設定され、輸出志向型の経済発展に道筋がつけられた。

③安定恐慌によって不況が深刻化し、中小企業に倒産が相次いだ。


Q3 日本経済が高度成長を遂げた要因は?

A3

①農地改革による自作農の創設や、春闘方式による賃金の安定した上昇などで、国内市場が拡大した。(消費革命)

②1ドル=360円という円安の為替レートに支えられ、輸出が拡大した。

③技術革新・設備投資や品質管理・労務管理によって生産性が向上し、低コスト・高品質の大量生産体制が整備された。

④教育の機会均等が保証され、地方から都市に良質な労働力が供給された。

⑤中東からの安価な原油の輸入により、石炭から石油へのエネルギー革命がスムーズに進んだ。


Q4 高度成長が終焉した要因は?

A4 

①アメリカがベトナム戦争の影響などで国際収支が悪化したことから、1971年に金・ドル交換停止を発表すると(ドル・ショック)、その後、円切り上げ、変動相場制への移行を経て円高が進み、輸出が減少した。

②1973年、第四次中東戦争の勃発を機に、OAPEC諸国が原油の輸出制限と価格の引き上げを行ったことから、日用品の不足と物価の高騰が生じた。(オイル・ショック)

③田中角栄内閣が行った列島改造政策により、全国的に土地投機が行われ、狂乱物価と呼ばれる激しいインフレが生じた。

④田中内閣が総需要抑制策に転じると、インフレのまま不況に陥り(スタグフレーション)、1974年には戦後初めてGNP成長率がマイナスに転じた。


Q5 1970年代後半にはどのようにして安定成長への転換が図られたか?

A5

①政府は赤字国債の発行と公共投資の拡大によって内需の落ち込みを防いだ。

②企業は省エネルギー化をはじめとする減量経営に努めた。

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相澤理
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