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豚汁には生姜を入れるととてもおいしくなる
夕飯に豚汁を作った。
豚こま肉をごま油で炒めて、皮をむいたじゃがいもとたまねぎ、冷蔵庫に残っていたえりんぎも一緒に炒めて、油が回ったらお鍋いっぱいに水を張って火が通るまで待つ。
我が家の豚汁には隠し味に生姜を入れる。
すりおろしたものでもいい、チューブでもいい。
なんでもいいから、とにかく生姜を入れる。
そうすると、味に奥深さが出て風味がより豊かになる、気がする。
はじめて彼女に豚汁を作った時、その隠し味にえらく感動していた。おいしい、おいしすぎる! 天才だ、今まで生姜を入れたことがないけれど、これからは絶対に入れる!そう話し、どんぶりにたぷたぷに注がれた豚汁を嬉しそうに飲み干した。
とてもとても嬉しかった。
正直にいうと、わたしは生姜があまり得意ではない。
あのピリピリとした味も、つんとした匂いも、あまり好きではない。
でも、恋人があんなに喜んでくれたので、その時ばかりは生姜に感謝した。好きなひとの喜ぶ顔は何度見たっていい。
わたしは新卒で入った会社を半年で退職した。
ある9月の月曜日の朝、突然仕事に行けなくなってしまった。
週明けだけど頑張るぞ!という決意とは裏腹に、からだは予想外のうごきをした。
普段通り改札を入った途端に、涙が止まらなくなってしまった。どうしてか分からず、電車の時間も迫っている。ただ、その場にいることがなんとなくいたたまれなくて、急いでお手洗いに駆け込んだ。
込み上げてくる吐き気。
実際なにも出なかったものの、なにかが喉につっかえて苦しかったのを覚えている。
ああ、今日は行けないかもしれない。
仕事のことをやっと考えて、はっとした。
早く行かなきゃ、でも――。
結局その日は仕事に行かなかった。行けなかった。
泣きながら改札を出て、帰路につき、会社に電話した。
その日のうちに、メンタルクリニックへ行き、適応障害の診断を受けた。
あの日から1年が経った。
仕事には、就けていない。
何度かアルバイトをした。
保育園の給食のお野菜切り、近所のしゃぶしゃぶ屋さんのホールスタッフ、メール返信業務。
どれも続かなかった。
これからなにかをする自信もあまりない。
適応障害になり会社を退職してから、細々と続けているものがある。
ぬいぐるみ作りだ。
なかなか思うように作れず、一旦はやめてしまったのだけど、最近再びはじめてみた。
ちくちく、ちくちく。
布に針を通す一瞬が、癒しとなっている。
これからどうしよう。どうしたらいいのだろう。
わたしの人生なのに、わたし自身がどうしたいのか分からない。
やりたいこともやれることも分からない。
いっそいなくなってしまうほうがいいのではないか、と昔から変わらずそんなことを思う瞬間もある。
24歳。
立派な大人なのに、何をしてるんだろう。
まわりの大人たちは、きっとしんどさや苦しさを胸に抱えながらも立派に背筋を張っているというのに、わたしはというと情けないばかりだ。
どうしたらいいのか分からない。
「まだ24歳、なんにでもなれるよ。」
無責任だけど、そういってほしい。
何にでもなれると思いたい。安心したい。
自分が今いるところには希望があって、鳥にだってライオンにだってなんにだってなれるから大丈夫だよって手を握って欲しい。
甘えと言われたらそれまでだけど、甘えでもいいからと肯定して欲しい。
わたしはこれからどうしたらいいのだろう。
そろそろ恋人が帰ってくる時間だ。
今日の豚汁はいつものお味噌汁よりずっと多めに作ったつもりだけど、きっとすぐなくなってしまうのだろうな。
今日もとびきりの笑顔で「おゆちゃんの豚汁は世界でいちばんだねえ」と言ってくれますように。
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