がんと言われたときに思ったこと 〜どう受け止めたか〜
今回は闘病日記ではなく、
クリニックで「胃がん又は原発不明がん(ステージ4)」と言われた時
余命2~3ヶ月かもしれない現実を感じた時
どう思ったのか、何を考えたのか、どう受け止めたかについて
書いていきたいと思います。
上記の宣告は
人生生きていく中で、
トップクラスにダメージを負う言葉たちではないでしょうか。
がんになって幸福度が上がった話でも少し触れましたが、
聞いた瞬間にショックで発狂したり、
泣き崩れたりしてもおかしくないほどの衝撃的な言葉です。
しかし、すでに書いてきたように
私は取り乱すようなことはありませんでした。
もちろんショックじゃないと言えば嘘ですし、
「なぜこの年齢で自分が...」
という気持ちにもなりました。
でも、それはそれとしてすぐに事実として受け入れ、
精神的には特に変わらず過ごしているかなと思います。
この理由について客観的に考えてみると、
大きく2つ考えられます。
①真っ黒な大学時代
ひとつは大学時代に鬱で引きこもった経験です。
大学に入って早々に精神が狂い始め、
3年目からは大学に行かなくなり、
そのまま中退しました。
ことの発端は高校時代に
バスケができなくなったことでしょう。
小学2年生の時からバスケをやっていたのですが、
すぐに魅了されました。
小学生だというのに朝7時くらいから校庭でダムダム。
放課後も日が暮れてリングが見えなくなるまでダムダム。
中学時代もバスケ部は基本的に毎日練習があったので、
バスケをやらない日はありませんでした。
そんなバスケ漬けの小中学生時代だったのですが、
加えて何故かピアノをやって合唱コンクールでは毎年伴奏をやってみたり、
スマブラも死ぬほどやったり、
少しですがバイオリンにも手を出してみたり...
小中学生時代のアクティブさは凄まじかったです。
どう時間配分をしていたのか、
今ではさっぱりわかりません。
そんな感じで、
当時は本気でバスケのプロになりたかったですし、
そのまま高校もバスケだけで選んで進学しました。
ただ、そこで転機が訪れました。
怪我でバスケができなくなったのです。
生きていく熱量を向ける対象を無くしました。
きっとそれが尾を引いたのでしょう。
高校時代はバイト三昧。
大学に進学しても特にやりたいことも見つけられず、
かと言って進路やら何やら考えないといけず、
行き場を見つけられないままの活力は
そのまま自分への攻撃へと変わりました。
毎日毎日消えたいと願い、
色々やりました。
こういう時って、
「死にたい」ではなく「消えたい」なんですよね。
そんな感じで、
引きこもったまま大学も中退し、
死んだような生活を送る期間がありました。
このような経験から
「死」を身近に感じていた、
むしろ望んでいた時期があったので、
突然の癌宣告にも動揺はしなかったのかなと思います。
あれだけ消えたいと願った人間に
この年齢で面倒な癌が降りかかるのも皮肉なものですが、
もしこれが当時だったら喜んでいたかもしれません。
「やった、これで早く死ねるかも!」と。
②常に「次に何をすべきか」を考える
さて、もう1つはちょっと抽象的というか、
思想的なお話になってしまうかもしれないのですが、
どんなことがあっても「次どうするか」を考えていることです。
人間誰しも「あの時ああしておけば良かった」と
後悔することはあると思います。
過去に戻れたらとか、
人生やり直したいとか。
私も全く思わないわけではないのですが、
先ほどお伝えしたようにクソみたいな大学時代がありました。
もちろん当時は死ぬほど辛かったのですが、
あの経験がなければ今の私はありません。
とりあたまに会うこともなかったでしょうし、
絵を描くこともしなかったでしょう。
高校時代にもし怪我をせずバスケを続けることができていたら、
びっくりするほど違う人生になっていたと思います。
その人生コースも気になりますが、
そんなこといくら考えても意味がありません。
長くなるので省略しますが、
私は3社、正社員で勤めた経験があります。
どこもまともな会社ではありませんでした。
それらも辛い経験でしたが、
もし優良ホワイト企業に当たっていたら、
今の自分はありません。
今が全てであり、
それ以上でもそれ以下でもありません。
今だって大変なことはたくさんありますが、
真っ黒な大学時代があってこその今があると思うと、
むしろあの辛い大学時代があって良かったです。
あの経験がなかったら、絶対に今の自分はありませんから。
そんな感じで、
嘆きたいことはこれまでも腐るほどあったのですが、
それらも「次に何をするか」で変わってきます。
今回の病気だって、それと変わりません。
癌になってしまったこと、それ自体はネガティブなことです。
ただ、それを受けてどうするか。
自分は何をするのか。
本当に大事なのはそこだと思います。
むしろ、この年齢で癌になるというのは
貴重な経験です。
入院していても、同世代と思われる人は
ほとんど見かけないですからね。
そんな貴重な経験ができるので、
せっかくだから生かしていきたいと思っています。
生かせているかはわかりませんが、
こうやってnoteに闘病日記などを書いているのも
その一環です。
癌にならないと経験談を書くことなんて
できませんからね。
私は今でもバスケは好きですし、
アメリカバスケのNBAもなるべく観ています。
NBAは
National Basketball Association
の略なのですが、
NBA解説もされている佐々木クリスさんという方は
NBAは
Next
Best
Action
である、とよくおっしゃっています。
ミスしてしまったり、嫌なことがあっても
次に最善の選択をする
これに尽きるんですよね。
庶民シュートをミスして後悔しても仕方ないので、
・全力でディフェンスに戻って取り返す
・試合後に猛練習する
など、次に成功するための行動をすれば良いのです。
すごく良い言葉だと思っていて、
なるべく常に頭の中に置いておくようにしています。
癌になったこと、
それ自体はどうすることもできません。
仕方ないのです。
それに対して泣き喚いたり取り乱して、
癌が治る可能性があるならいくらでもそうします。
それが最善の行動になりえますから。
しかし、残念ながら落ち込んだところで癌は治りません。
むしろ、病は気からという言葉があるように、
落ち込むことはマイナスに働くかもしれません。
全然Next Best Actionではありませんね。
じゃあ、どうすべきか。
次に何をすべきか。
癌宣告を受けた時も、
余命2~3ヶ月かもと言われた時も、
それだけを考えていました。
だから特に取り乱すこともなかったのです。
だいぶ長くなりましたが、
これが癌であると言われた時に考えていたことです。
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