うちよそ交流を失敗して大事なものを全て失った話③

前回。

私は愚かだ。何度でも失敗を繰り返す。
大好きな人を信じられず、大好きと言えなくなった。それが一番悲しかった。

自ら縁を切り、自爆する

誰に相談しても「やめればいいじゃん」と返ってくる。正論なのだが、それは私にとってはやめることができない自分を否定されているような気持ちだった。
そんなとき私の推しが雑誌で言っていたとある言葉が目についた。「楽しくないなら、やめたほうがいい。」と。推しまでもまわりと同じことを言っているのだ。
「もうやめたほうがいいのかな。」そんな気持ちを抱くようになっていた。何度もお別れのメッセージをメモ帳に書いては消してを繰り返していた。わからない。自分がどうしたいのか何にも見えなくて、誰かに助けてもらいたかった。自分で自分のことを決めることができなかった。
その頃私はSNSのアカウントを消しては作り直すという奇怪な動きを繰り返すようになる。離れたい、離れたくないという気持ちが毎日変わっていた。Aさんから見れば私は完全に「構ってちゃん」だった。Aさんの別垢でもそのようなニュアンスのことを言われていて、ひどく惨めで、自分が情けなく思った。

ある日のこと、泣きながら姉にそのことを相談した。「やめればいいじゃん」またもやそう言われた。私は追い詰められていたから物凄く頭に来て、再び衝動的に行動する。もう耐えられない。こんな場所にいてたまるかと思い、うちよそを解消するDMをしたのである。
そしてその瞬間に絶望した。
どうして縁を切ってしまったんだろう!離れたくなかったのに!!!
ヒステリックになって私は蹲っていた。私はもう自分で自分の舵を取れなくなっていた。

泣き続ける日々

うちよその関係を解消すれば楽になれると思っていたのにちっとも楽にならなかった。むしろ自分の決断を呪い、苦しみは増した。駅のホームに飛び込んでやろうかなという思いもよぎった。

楽しかった創作はトラウマの源になり、自分の創作なのにうちよその記憶が過ぎって辛くなってしまう。その度に私はまた過去を呪うようになり、いまの自分を憎んだ。
うちよそなんてやらなければよかった。Aさんのことなんて好きにならなければ良かったのに。
Aさんから逃げた自分を呪った。上手くやり取りできず、相手の気持ちに寄り添うことができなかった自分を怨んだ。

失敗した。だけど精一杯やった。

自ら縁を切っておきながら性懲りも無く、Aさんに時々話しかけることがあったが、やはり相手に対する怖さは拭えなかった。怖いけれど、大好きだから関わりたい気持ちがまだどこかにあったのだと思う。
もうAさんから話しかけられることはなかったが、それでもいつか打ち解けてまた創作できたらいいなと思っていた。

でもそれは叶わなかった。
唯一、繋がっていたアカウントがAさんからブロ解されていた。長い時間苦しんだ割に終わりはあっけなく、その時「ああ、終わったんだ」ということをしみじみと自覚した。
私はまた泣いた。わんわん、声をあげて喚き散らした。タオルを涙でぐしゃぐしゃに濡らしていた。
悲しいかな、Aさんの世界に私という存在はもういないのだ。寂しくて悲しくてたまらなかったけれど、少し肩の荷が降りたような心地だった。もうAさんに好かれようとしなくていいんだとやっと思えた。

私の行動に問題があったことは否めないが、そもそも私とAさんは合わなかったのだと思う。心地のいい距離感も違うし、創作の考え方や好きなものも共通点がなかったし、楽しい時でもAさんの発言がしんどいなと思うことも多々あった。
それでもAさんとの交流は楽しい時もあって、私はそれを全部否定したくはないと思う。例え疎まれていようとも、Aさんに出会えたことは宝だと思っている。

過去との決別

私はAさんのことを忘れるために交流していた絵や小説は全部消して、連絡先も全部消した。界隈からも距離をとってSNSにはログインしないようにした。参加している企画が終わり次第そのアカウントも削除する予定だ。

おそらく、私がうちよそをすることはもうないだろう。
「やらなければ」という義務感を持ちたくないし、他人のキャラクターを動かす責任を持ちたくないからである。そして、創作に依存的な私は人と一緒に創作すると同じくらい相手に依存してしまうのだということもよくわかった。また誰かに依存してしまうのが怖い。これからは創作での人との関わりを最低限にしようと思った。
そしてなにより自分の価値を他人の評価に委ねないこと。私が依存してしまった背景には自分で自分を認めることが出来ない自己価値の不足感があったからだと思う。認められたいからやる、そういう気持ちを抱くのは仕方ないにしても、それを行動する一番の理由にしているとガタがくる瞬間が来る。私はそれを身をもって知ったのである。
いまの私は信頼も創作意欲も失い、空っぽのちっぽけな存在だ。悲しいだろう。惨めだろう。だが、自己嫌悪と自己憐憫、たらればの地獄に落ちたからこそ私はいまこの記事を書けているのだ。

人は皆過ちを犯すものだ。だから過ちを犯した時に自分を許してあげてほしい。どんなことがあっても自分は自分の味方でいること。
悲しいことがあったときはその感情を無理に沈めたり取り繕ったりするのではなく、悲しみを感じきること。
今いる場所だけが自分の居場所ではないと気づくこと。世界は広い。駄目だと思う自分を面白いと言ってくれる環境もある。だから、合わない環境や人からは遠ざかる勇気を持つ。
それが結果的に人との間にも平和をもたらしてくれるはずだ。

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