うちよそ交流を失敗して大事なものを全て失った話②

これの続き。

迷惑行動と解釈違いを起こした私は、なんとかしてAさんから信頼を取り戻そうと躍起になる。キャラクターはこんな感じですか?こういうお話しはどうですか?と質問責めをした。
最早、創作することの喜びを失い、自分の頭で話を考えることもできなくなり、Aさんに認められることが生き甲斐となっていた。私はなんとしてもそれを失うわけにはいかなかったのだ。
「のんびりでいい」と言ってくださったのに私は自分のやらかしを憎み、自己否定をする気持ちが日増しに強くなっていった。何で相手に押し付けるようなことを言ってしまったんだろう、何で解釈違いを起こしてしまったんだろう、私は嫌われたに違いない。そういう思い込みに心が囚われて、私は私を否定し続けた。そして眠れなくなるほどに精神がどんどん病んでいった。

長文謝罪DMを送る

なんとなくAさんの態度が素っ気なくなったように感じて、私は信頼を取り戻そうと必死になる。誠心誠意想いを伝えれば気持ちは必ず届くはずだと信じて疑わなかった。
それは相手のためではなく、謝って楽になりたいという気持ちだったと思う。間違いをなかったことにして、許してもらいたくてたまらなかった。自分を自分で許すことができないから、他人に許して貰いたがったのである。
だがしかし、終わったことに対して長文の謝罪のDMが送られてきて心地がいい人はいないだろう。これだけあなたに執着していますよと吐露しているようなものだった。けれどその時の私はこれを送ったら相手がどんな想いをするのかを想像することができなかった。
結果、Aさんとの溝は良好になるどころか益々深まるばかりで、状況は更に悪化した。
私が話しかけても無視されるようなり、作品を送っても無反応であることが多くなった。
私は私自身で墓穴を掘り、楽しかった交流を自らの手で苦しいものにしてしまったのだ。嫌われないようにした行動が、かえって疎遠になる理由を作ってしまったのだと思う。

自分の存在価値がない

Aさんによって褒めてもらうことがアイデンティティの一部となっていた私は、ぽっきり心が折れてしまった。
一生懸命こちらから話しかけて、以前のような関係に戻りたいと必死になる。しかし浮上するたびしつこく話しかけられるのはAさんもウザいなと感じていたのだと思う。「そんなに構えない」という旨のDMを貰って、私は更に凹んでしまった。私はただあなたとうちよその話がしたいだけなのに、それすらも許されないんだ、きっと過去のあの出来事のせいだと自己嫌悪をしつづけた。距離をとったほうがいいのは頭ではわかっていたが、心がうちよそに執着し続け、「この関係を続けなければならない」という思いは強迫観念の如く私に追い打ちをかけた。あなたに褒められないと生きている価値がないとまで思っていた。

大好き、でも憎い

私は毎日泣いていた。どうして上手く人とコミュニケーションが出来ないのだ。そういえば中学の時もKY(空気読めない)とあだ名をつけられて、人間関係がうまくいかなかった…などと過去のトラウマを心から抉り出すように思い出していた。ああしなければよかった、こうしなければよかったと過ぎ去ったことを次々と憎む亡霊のようになっていた。
自業自得とはいえ、大好きなAさんにスルーされているのはものすごく苦しかった。憎い気持ちもあった。いくら気持ちを込めても届かない…ちっとも楽しくなかった。
それでもいつか届くとAさんとの関係に執着して、まともに創作ができる精神状態ではなかったのに交流創作を生み出し続けた。私が好きだからいいんだと言い聞かせて。
不安から作った私の作品は以前のような輝きを失い、薄暗く澱んでいった。もうどうしたらいいかわからなかった。

コミュニケーションとはなんぞや。交流なのにAさんにはスルーされ私は一人で盛り上がっているだけの壁打ちになっていた。今から思えば一周回ってギャグなようにも思えるが、その時はどうしたらいいかわからず、ハイテンションの距離感バグ人間になっていた。たぶん防衛反応だと思う。Aさんの反応が怖くてたまらないのに、怖くないふりをしていた。そうしないと自分を保てなかったのだ。
精神科でもらえる気分安定剤を増やしてもらっても全く心が休まらず、私は心がどんどん廃れていくのを感じていた。
世の中に人間はたくさんにいるのに、なぜこんなにもAさんに執着してしまうのか。執着をやめたくてもやめられない。周りからも「やめればいいじゃん」と言われるが、やめられないのだ。やらなければいけない義務感の呪い。話しかけちゃダメだと思うほど、話しかけてしてしまって、自分でも自分を制御できなくて怖かった。Aさんのことを思うと、とても怖がらせてしまったはずだ。申し訳なかったなと思う。

この頃、私は自己啓発本やスピリチュアルな本を読み漁り、「私は変わったんだ!見て!」と周囲に見せびらかせてアピールしまくっていたような記憶がある。だが、真に心を入れ替えた人間はそんなことはしないのである。自分はいい人で付き合う価値のある人間だと思いたかった、思われたかっただけだった。
だがそんなことをしても現実は何も変わらず虚しさが増すだけで、何にもよくならなかった。

③へ続く…。

いいなと思ったら応援しよう!