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SNSの友だちを削除した


人生のペースは人それぞれだと、わかっている。
わかっている。頭では、わかっている。

この人は何歳で大統領になりましたとか、
この人は何歳から登山を始めましたとか。

若くして成功した人もいれば、
老いてから挑戦を続けている人もいる。

けれど比べる。
26歳、この歳になると、SNSの報告では、結婚しましただの結婚式を挙げましただの子どもが産まれましただのが多い。

人生のステップ、先を越されたような、なんだか少し負けたような、そんな気持ちになることもある。
そういう気持ちになるのってどんなときだろうと考えた。

わたしの場合は、どうでもいい人の場合が多い。
負けたような気持ちになるとき、その報告の事実よりも、なんだこの投稿、みたいに思っていることに気づいた。
つまりは、こんな投稿どうでもいい、見たくない。という感情。冷たいけれど、これが本心。

なんとなく知り合いだからフォローし合っている人、なんとなくフォローされたからフォローし返した人、昔の深くもない繋がり。
さようなら!することにした。

ブロックしてからすぐブロックを解除すれば、あちらからもわたしが消えてくれるので、この仕組みはありがたい。これで削除完了。

過去にわたしも、削除される側になったことがあるが、別に何も思わなかった。
この行為自体は悲しそうに聞こえるけれど、意外と悲しくなかった。
仲が良いと思っていた人にされたらさすがに悲しいだろうけど。

さようならするかどうかの基準は、
“なんだこの投稿、どうでもいいな”って思う人。
自分の中にその人への心が無いから、そういう感情になるのだろう。

実際、結婚やらの大事な投稿を見て、どうでもいいなって思うこともあれば、
日常の、なんの変哲もない投稿を見て、うふふと心が躍ることもある。よくある。

どうでもいいは、あくまでもわたしの人生において。
見ていてしんどい人の投稿を見続ける、その選択をするわたしをやめにしただけ。

それだけだけれど、心は軽くなった。

逆に、心を躍らせてくれる投稿は、わたしにとって心の栄養。
よく動物の写真をあげている人とか、あったかそうなごはんの写真とか、好きな人たちの笑顔とか、キメキメのポーズとか、美しい瞬間とか、そういうのは見ていて嬉しい。
そういうのを見るためにやっている。


わたしは、SNS、嬉しくなるためにやっている。嫌になったらやめるだけ。

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