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涙の静けさと強さ。
2022.10.24-----
私は理由もなく涙が溢れ出すときがあります。
それが社会人になってから増えているように思うんです。未来に対する不安なのか、恐怖なのか、何からくる涙なのかわからなくて、苦しくなるときがあります。
今日がその日でした。突然溢れ出す涙。大切な人と電話をしているときでした。大切な人は、いつもより疲れていて、眠そうで、だから早めに寝た方がいいと分かっていました。でも、何かを感じとり、すぐに電話をきろうとはしなかった。。じんわりとした優しさが私の心に届き、涙に変わりました。
涙に変わってから、気づきました。私は心に何か大きなものを溜め込んでいたんだと。でもその何かをいつも言葉にできないから。だから、分からない。分からないんです。本当に。。
そんなときに出逢った言葉。
「言葉にできない自分」で良い。
そっか....そうだった。言葉にできない曖昧さを、混沌とした想いを、矛盾を、心に抱えていて良かったんだ、と。前にも、この気づきを得ていたはずなのに、すっかり忘れていました。
私は心に何か大きなものを溜め込んでいるのが苦しいと思っていました。でも、それだけではなかった。その何かを、言葉にしようと、表現しようと、そして、現状をどうにかして変えて、少しでも未来に希望を見出せるように、と。変化させようともがいている自分に、苦しんでいたのかもしれないと思いました。
そして頭で考え続けていました。頭で考え続けた結果、人は無気力になるということを知りました。
こういうときは何をしてても情報が頭に入らなくなります。
だからYouTubeでそのままを検索してみたんです。「無気力」と。すると、大愚和尚の一問一答の「無気力の原因とやる気を取り戻す方法」という動画に出逢いました。大愚和尚....どこかで聞いたことがある..と思ったら、stand.fmの告知欄で紹介されていたチャンネルでした。
この動画を見て、ほんの少し気力が湧いてきたように思います。私はやっぱり頭で考えすぎているんだな、と。もっと身体を動かして、身体で感じることが大切なんだな、と。これは、便利な世の中になったが故の社会問題であり、それを知っていたはずなのに、また忘れていました。
もっと「動的」なものに目を向けて、自分の身体で体験を積んでいきたいと思いました。そうすることで、「静的」なものにも自然に目が行くのではないか、と考えています。
心というものは何なのかと疑問を抱いていた私が、少しずつ身体に意識が映っていることも、自然なことだと思いました。
その自然な流れに逆らわず、生きていきたい。
そう感じた涙は、静かながらに強さがありました。