中学歴史-5 平安後期と鎌倉時代
Ⅰ院政の開始
藤原氏が衰退したあと白河天皇は上皇(じょうこう)となった後も権力を握った
天皇を辞めた人のことを上皇という
上皇という立場で政治を行うことを院政(いんせい)という
Ⅱ武士の誕生と平氏政権
院政開始前に関東で平将門(たいらのまさかど)、瀬戸内海で藤原純友(すみとも)が反乱を起こす
武士団の力を使って抑えつけた
武装し戦いを仕事とする武士があらわれた
源氏(げんじ)や平氏(へいし)は武士団を作り成長した
荘園から年貢を集めて貴族や寺社に納めることで領地を保護してもらった
弓馬の道と呼ばれる武芸で身を鍛える考え方が生まれた
保元(ほうげん)の乱や平治(へいじ)の乱で源氏を倒した平氏は権力を持つようになる
平清盛(たいらのきよもり)は武士で初めて太政大臣(だじょうだいじん)になる
神戸の大輪田泊(おおわだのとまり)を改築して宋(中国)と貿易を行った
東北では奥州藤原(おうしゅうふじわら)氏が栄えた
後に源氏に滅ぼされた
Ⅲ鎌倉幕府の誕生
1185年から始まる
源氏が平氏を退けて権力を握った 壇ノ浦(だんのうら)の戦い(山口県)
源頼朝(みなもとのよりとも)は鎌倉に鎌倉幕府を開いた
1185年 源頼朝が守護(しゅご)と地頭(じとう)を全国に置いた
1192年 源頼朝が征夷大将軍になった
御家人(ごけにん):征夷大将軍に従った武士
将軍と御家人は御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)の関係で結ばれました
御恩:将軍から御家人に土地や守護・地頭の権利を与えること
奉公:御家人が土地のお礼に将軍の命令に従うこと
Ⅳ鎌倉幕府の衰退
後鳥羽(ごとば)上皇が幕府の権力を朝廷に戻そうとして承久(じょうきゅう)の乱を起こす
後鳥羽上皇は敗北し鎌倉幕府は六波羅探題(ろくはらたんだい)を京都に設置した
源頼朝の後は北条氏が執権政治を行った
執権(しっけん):将軍を補佐する役職のこと
北条泰時(やすとき)の時代にはが定められた
御成敗式目(ごせいばいしきもく):武士の仕事や土地の支配について定めた法
1274年・1281年 元(中国)が日本を攻めてきました 元寇(げんこう)
当時の皇帝はフビライ・ハン
御家人は元軍を2度とも撃退します
ほうびになる土地が幕府から与えられないので御家人が不満を持つ
幕府は徳政令を出して借金を帳消しにしますが効果はありませんでした
鎌倉幕府の滅亡
後醍醐(ごだいご)天皇が鎌倉幕府を滅ぼす
有力御家人らを味方に付けた。
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