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日本史B 古代6 奈良時代・前半
Ⅰ政権担当者
政権担当者
藤原不比等(藤原氏)→長屋王(皇族)→藤原四子(藤原氏)→橘諸兄(皇族)
Ⅱ藤原不比等(ふひと)の時代
元明(げんめい)天皇の時代(奈良時代最初の天皇)
平城京に都を移す(710年)
平城京の右京と左京の位置は教科書等で覚えて下さい
和同開珎(わどうかいちん)
支配者であることを示すために貨幣を作った
布や米を貨幣の代わりに用いていた時代なのであまり流通しなかった
貨幣を流通させるために蓄銭叙位令(ちくせいじょいれい)を出す
流通の促進には至らなかった
養老律令(ようりょうりつりょう)
藤原不比等が作った律令
制定直後に亡くなる
Ⅲ長屋王(ながやおう)の時代
藤原氏の独裁に対する対抗馬として政権を握った
当時は財政難
律令体制下の税負担を逃れるために浮浪・逃亡する人が多かった
口分田(くぶんでん)(失踪した人たちの土地)が荒れ果てて税収入が減少した
百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぼかいこんけいかく)
開墾(かいこん)(田を切り開くこと)を推奨
ただ推奨しただけなので開墾が行われなかった
三世一身法(さんぜいっしんのほう)(723年)
開墾した人に対して期限付きで土地の私有を認める
①新しく池や溝を作って開墾した場合
三代の私有が可能
②旧来の池や溝を利用して開墾した場合
本人一代の私有が可能
Ⅳ藤原四子の時代
聖武(しょうむ)天皇の時代
藤原不比等の4人の子供たち
武智麻呂:南家
房前(ふささき):北家
宇合(うまあい):式家
麻呂:京家
聖武天皇の祖父が藤原不比等だったので権力が握れた
長屋王の変(729年)
長屋王に謀反の罪を着せて政治の世界から追放した
長屋王追放後
妹の光明子(こうみょうし)を聖武天皇の皇后にした
伝染病で4人とも死んでしまう
Ⅴ橘諸兄の時代
聖武天皇の時代
唐から帰国した吉備真備(きびのまきび)や玄昉(げんぼう)を登用した
奈良時代の中国や朝鮮半島 地図をチェック
中国には唐(とう):遣唐使を派遣
朝鮮には新羅(しんら):関係が良くなかった
中国北東部に渤海(ぼっかい):頻繁に使いを送っていた
藤原広嗣(ひろつぐ)の乱(740年)
藤原宇合の子 藤原式家
九州で吉備真備・玄昉を追放するために反乱を起こす
鎮圧されて失敗
聖武天皇は藤原広嗣の乱の後に都を転々とする
恭仁京(くにきょう)→難波宮(なにわのみや)→紫香楽宮(しがらきのみや)
仏教政策
聖武天皇が仏教の力で国を平和にしようと考えた
国分寺建立の詔
大仏造立の詔(教科書で資料をチェック)
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)(743年) (教科書で資料をチェック)
土地の永久私有を認める法律
初期荘園という私有地が誕生する
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