日本史B 古代7 奈良時代・後半
Ⅰ政権担当者
政権担当者
藤原仲麻呂(藤原氏)→道鏡(僧)→藤原百川(藤原氏)
Ⅱ藤原仲麻呂(なかまろ)の時代
孝謙(こうけん)天皇(聖武天皇と光明子の娘)の時代
橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の変(757年)
橘諸兄の息子の橘奈良麻呂による反乱
藤原仲麻呂(なかまろ)に倒される
養老(ようろう)律令の施行(757年)
藤原不比等が制定した法律
施行されたのは藤原仲麻呂の時代
恵美押勝(えみのおしかつ)の乱(764年)
発生までの流れ
①孝謙天皇が藤原仲麻呂に辞めさせられる(孝謙上皇になる)
②仲麻呂が自分の思いどおりになる淳仁天皇を即位させる
③孝謙上皇が道鏡という人物を登用する
④仲麻呂が道鏡を政権から退けようとして反乱を起こす
⑤仲麻呂が敗れて死亡する
※恵美押勝という名前は仲麻呂が淳仁天皇から賜った名前です
Ⅲ道鏡(どうきょう)の時代
道鏡は孝謙上皇の病気を治したことで権力を得ます
恵美押勝の乱の後に孝謙上皇は称徳(しょうとく)天皇として天皇に復帰しました
寺院以外の開墾(かいこん)禁止令
寺院に都合のいい法令
宇佐八幡神託(うさはちまんしんたく)事件
道鏡が皇位を狙って起こした事件
和気清麻呂によって失敗に終わる
称徳天皇の死によって権力を失う
Ⅳ藤原百川(ももかわ)の時代
光仁(こうにん)天皇が即位する
寺院以外の開墾禁止令が廃止
開墾面積の制限が撤廃(772年)
墾田永年私財法に制限が定められていた
初期荘園(しょうえん)が誕生する土台になった
Ⅴ初期荘園について
8~9世紀の荘園
律令体制が崩壊する前の荘園を指します
①租が課せられた荘園
②荘園領主は大寺院や貴族が中心(開墾できる経済力がある)
③開墾した土地は農民に貸し出した(賃租)
Ⅵ奈良時代の蝦夷地と南九州
蝦夷地への政策
出羽柵(でわのさく)の設置
現在の宮城県に多賀城(たがじょう)を設置
東北制圧の機関として鎮守府(ちんじゅふ)を置く(724年)
南九州への政策
南九州に住んでいた隼人(はやと)を平定
南九州に大隅国(おおすみのくに)を作る
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