見出し画像

心の避難所を持っていると気が楽になる

ひとつの世界にだけ生きている人は、その世界における他者からの評価=自分の価値であると思いこんでしまう。

ところが別の世界にも生きていれば、一つの世界における評価は絶対的な価値ではなくなる。

生きている世界の数だけ精神に余裕が生まれる。

このような別世界のことを「心の避難所」と呼ぶことにしよう。

僕が心の避難所にしているものは主に3つある。


心の避難所①:遠い場所


心の避難所の一つは「遠い場所」だ。


一時的にとはいえ、遠くへ行けば他者のまなざしから解放される。

そこでは肩書きもしがらみもない、ただの人になる。

別に観光地なんて行かなくていいし、美味い食事を食べなくてもいい。

とにかく遠くであればどこでもかまわない。


「時間」がもっとも優れた天然の精神安定剤であるように、「距離」もそれに劣らない天然の精神安定剤としての役目を果たす。

僕の経験上、漠然とした閉塞感や憂鬱感に苛まれているときは遠くへ行くのが1番だ。

おまけに近い未来に楽しみが生まれることで、旅行していないときにも精神が活気づけられる。


ひと月に数回、僕はどこか遠くへ行く。

そのたび生きる気力が回復し、虚心に物を考える力が蘇る。

お金や暇がない人は1泊でも日帰りでもいいので、とにかく月に一度どこか遠くへ行くことを勧める。

人の驚嘆する場所もあれば、又人の心をうち、ああ棲みたいなと思はせるやうな場所もある。どうも人は、その場所々々によつて、精神や気分や情念や趣味や意見を左右されるやうに思ふ。

ラ・ブリュイエール『カラクテール(上)』関根秀雄訳,岩波書店.


心の避難所②:図書館


心の避難所の2つ目は図書館だ。


本の世界にはさまざまなタイプの書き手がいる。

身近やネット上には一切生息しないように思える人間が、図書館で探せば次から次へと見つかる。

誰かに話せば鼻で笑われるような考えを大真面目に語る本が、一生かけても読み切れないほど並んでいる。


話の合う人間がいない。

いつも周囲から浮いている。

世の人々と感情を共有できない。

そんな人ほど図書館の恩恵をより多く享受できるだろう。

自分の思い患っていることを代弁してくれていて、しかも、じぶんの同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物のなかに、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。自分の周囲を見わたしても、同類はまったくいないようにおもわれたのに、書物のなかでは、たくさん同類がみつけられた。

吉本隆明『読書の方法』光文社.


心の避難所③:note


心の避難所の3つ目はnoteである。

SNSは他にもたくさんあるが、もっとも治安が良く、ストレスを感じる機会が少ないのがnoteだ。

読む側としてでも別にいいのだが、ここでは書く側として避難所にするのを勧めたい。


とくに日頃から自分の内面を隠している人間は、本音を吐ける場所をどこかに持っていたほうがいい。

その場所が存在することが、なにより強い心の支えになるからだ。

たとえ仮面を被った自分がどれほど惨めな目に遭おうとも、素顔の自分の居場所がどこかにあれば、それだけで心に余裕が生まれる。

(Noteを公開する利点については長くなるため別の機会に話す)



上に紹介したものは避難所の一例だが、もちろん別の場所を避難所にしても構わない。

とにかく複数の世界を持っていたほうがいい。

そうすればたとえ一つの世界で不幸に苛まれても、別の世界にいつでも避難できる。

不幸がきたときに耐えるためには、幸福なときに、ある広さにわたって興味を開発しておくのがかしこい、そうすれば、こころは現在の耐えがたい感情や連想をおもい出さずにいられるしずかな場所をみつけることができる。

バートランド・ラッセル『ラッセル著作集 第6巻』片桐ユズル訳,みすず書房.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?